きたにひと

きたにひと
ベルトルト・ブレヒト『ガリレイの生涯』讃 -私の大学(その6)-
研究業績 -私の大学(その5)-
大学教授 -私の大学(その4)-
学生 -私の大学(その3)-
大学への憧憬 -私の大学(その2)-
波止場界隈(下)
波止場界隈(上)
私の大学
すり込まれている筈の風景
蔵書整理の顛末
2003年8月根室行
「書物ばなれ」と格闘する

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最近考えること
私の大学

 「私はカザン大学に学びにゆく」、1923年に発表されたマキシム・ゴーリキーの自伝的小説『私の大学』はこのように始まる。この短い文章にゴーリキーの大学への憧憬を感じとって、私は熱くなる。もちろん、この小説を知ったのは、私が大学進学を決意した頃ではない。ずっと後のことだ。しかし、私はこの表現に自分自身の大学進学への思いと憧れをいつも重ねあわせてきたのであった。私の生まれ育ったまちは大学とはまったく無縁の地であった。大学進学を志した頃の私の憧憬をゴーリキー流に表現すれば、「私は内地の大学に学びにゆく」とでもなるであろうか。

 最底辺層の出身であったゴーリキーが帝政ロシアの時代に大学に入学できるはずもなかった。彼にとってのカザン大学とは、カザン社会の最底辺の人びととの交わりのなかで学んだ普遍の世界と革命思想であった。その学びの広がりと深さは、私のこの数十年にわたる学びの水準などはるかに及ばない。

 2006年春に私は70歳となり、最終的に大学教師を辞する。私が大学に入学したのは18歳の時であったから、半世紀世紀以上もわたって、さまざまな形で大学にかかわったことになる。長くも短くも感じられたこの時間のなかで、大学は私にとって尽きることのない知識の泉であり、「私の大学」を私のなかに育んでくれた。私の向上心の源であった。と同時に、学生として、教師として、学者として、そして管理者として関わった現実の大学制度は、「私の大学」への渇望との葛藤と相克の舞台であった。

私がいま去ろうとしているのは制度としての大学であって、普遍的な学びの場としての大学ではない。私の中で大学はつねに憧憬の対象であったし、進歩の思想を学ぶ最重要の場であった。そのことはこれからも変わらない。しかし、区切りをつけて大学を去るのを機に、大学への思いを書き残してみたくなった。回想録ではなく、つくづく考えさせられていることを、数回書き連ねてみたい。


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