一昨日、千本五辻を西に入って散策したときに考えたことを書いておこう。五辻通は今出川通は今出川通の南側の通で西陣と通称される地場繊維産業が密集していた地域の中心的な通の一つである。昔の繁栄の面影はまだいくらかは残っている。西に少しいくと千本釈迦堂(大報恩寺)の参道があり、北野天満宮の東門でこの通は終わる、天満宮の北門を出て西に折れ、天神川を越えると桜の名所、平野神社の朱塗りの鳥居が見えてくる。昨日の散歩の目的は花見だったが、今なおの多くの暖簾がかかる店を観察することも目的の一つであった。
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 最初に眼に入ったのが長谷川杼製作所の看板と暖簾、こしらえている現場をみせてもらいたかったが、暖簾をくぐるのをためらった。もう少し西に歩いて七本松通の角に面白い看板の店がある。稲垣機料株式会社とある。厚かましく入ってみた。手織り織機とその部品を扱う店
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で、ご主人は冷やかしの客なのに親切に応対してくれた。西陣に限らず全国の機屋さんと取引があり、最近は沖縄との関係も深いという。伝統産業の衰退と同時に道具をつくる職人が減っていることに危機感を持っておられた。
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 木製の道具はどれも丁寧に仕上げられており、見ているだけで心がなごむ。店内のあちこちに使い込んだ道具が展示してあった。それを眺めていると、私の視線が欲しそうに見えたのであろう、あれは売り物ではありませんと釘を
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刺されたが、古物商で買うと結構な値段だそうな。
 このような使い込まれた古い道具を見ると、船大工だった父を思い出す。さまざまな種類の鉋(かんな)、鑿(のみ)、ちょうな、鋸、金槌、げんのう、かけや、墨壺、曲尺、そして道具箱。父は几帳面な人だったから、道具の整理
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と手入れを怠らなかった。私は父の仕事を継がず、職人とはまったく正反対の学問の道に進んでしまったから、父を偲ぶ道具類は手元に一つも残されていない。それでも、学者として成長していく節目の時にには、父の職人としての生きざまは手本になったと思う。
 道具は職人たちの熟練の手にあわせて改良されたてきた。それだけに道具は美しい形になる。使い込まれた道具は、それを使った職人たちの心意気を感じさせる。
 このような道具の美しさは、博物館では感じ取れない。神戸市に竹中工務店が収集した道具の博物館がある。一度見に出かけたが、あまり感動しなかった。道具の美しさは使う職人あってのことだと思う。伝統産業の衰退でその職人が減ると、どうなるか。当然のことながら、道具をつくる職人も減る。父が生業としていた木造船つくりの技術もほぼ絶滅に近い状態である。父が愛していた道具の産地はどうなっているのだろうか。
 稲垣さんの店を覗いて帰宅してから、つくずくこの国の産業構造のいびつさを考えていた。職人の手仕事の世界が廃れる経済が人間的であるはずがない。
 一昨日、名古屋市の名城大学に招請研究員として1年ほど滞在していたスリヤラタさん(スリ・ジャエダネプラ大学上級講師)がスリランカに近く帰国されるので、京都に挨拶に来られた。彼女は以前に、私が名古屋を去るのと相前後して前後して来日し、名城大学大学院でPh.D(課程博士)をとられた。私は彼女の来日のお手伝いをしたこともあり、いまでもこのように挨拶があるのはうれしいことだ。
 彼女以外にも私は10人をこえるスリランカの若い研究者のPh.D取得のお手伝いをした。20年ぐらい前になるだろうか、文部科学省奨学生で来日したウィラシンハさんの学位取得を支援したのがことの始まりであった。彼はいまは大学教師のキャリアを中断して、National Institute of Business and Managementのdirector generalとして活躍している。
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 この国については、私はセイロン・ティーの国という以外まったく知識を持ち合わせていなかった。南アジア地域については学問的な関心はまったくなかったといってよい。この国の若い研究者の指導を次々と依頼してくるウィラシンハさんの熱意にほだされて、私の大学教師としての最後の仕事のほとんどはこの国を含む小国出身の大学院留学生の支援に費やされることになった。私は大学教師としては無能で、あまりよい仕事を残せなかったのだが、この最後の十数年の仕事には満足しているし、いまだに私の財産である。
 大学は学ぶ意欲のあるものに国籍を問わず最大限の自由と支援を与える場所でなければならない。ところが日本の大学の支援体制ときたら話にならないお粗末さだ。私はドイツにDAAD留学生として、アレクサンダー・フォン・フンボルト財団のフェローとして何度かお世話になった。支援の組織、帰国後のサービスも非常に快適で、この国での教育と研究の地位の高さを体験できた。日本の場合は外国人研究者の受入れはお世話をする教授たちにかなりの負担となる。その実態は今でも私が苦労した頃とあまりかわってはいないだろう。
 小国の大学の水準を高めるための支援が重要だと思う。Ph.Dの学位を出せない国も沢山ある。大学がない国もある。スリランカは国の規模に比較して多数の国立大学があり、教育熱心な国である。しかしまだ修士の学位を出せる水準でPh.Dを取ろうとするとどうしても外国の大学に進学しなければならない。そのためにはお金がかかる。また外国で学位をとると、帰国しない研究者が増え、国の教育や研究の水準を高めることにならないという状況も生まれてくる。私が小国の若い研究者の受け入れに努力したのも、いくらかでもこれらの国々の水準の向上に寄与したいと考えたからであった。
 ODA等で道路や橋をつくるよりも、今以上に若い研究者を招請する制度を作るべきだ、現地大学への支援を増やすべきだ。そうすれば、日本の大学の国際的評価も高まる。
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 3月25日、友人のお招きを頂いて上七軒北野をどりの初日を楽しませて頂いた。京都にはいくつか花街があるが、それぞれの花街で桜の時期にあわせて芸舞妓子たちの出演で踊りの公演が5月上旬まで続く。京都の春の風物詩である。今年は異常な寒さで、いつもなら咲き始めているという歌舞練場庭の桜もつぼみも色づくところまでなっていなかった。
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 上七軒の起源は室町期にさかのぼり、京都の花街では一番古い歴史を持つ。しかし、さびれ様は歩いてみただけで理解できる。その理由はふたつあるように思う。一つは、花街そのものを支えてきた都市の中身が変わったことである。かって京都のまちを支えていた地場産業が衰退し、学者や文人とされる人たちも花街に遊ぶ経済的余裕も慣習もなくなってしまったのである。上七軒の場合、西陣地場産業と映画産業の衰退が影響しているように思われる。このままでは、観光産業と結びつく以外にないのだが、祇園のようにはいかないだろう。それに遊び方が世代間で継承されていないことにも問題があるのではないか。これが二つ目の理由だ。
 私自身、大学教師というしんどい仕事のなかで、ここで安らぎを得られたら、どんなに気持ちの豊かな暮らしが出来ただろうかとつくづく思い返す。根拠のない職業倫理の強制と安月給がそれを妨げた。人間たるもの、食欲と性欲、そして好奇心の解放が生活を豊かにしてくれる。もちろんそれは節度あるものでなければならないのだが。
 花街や遊郭はそれ自体として文化の中心であったし、そこを媒介にしてさまざまなジャンルの文化が誕生し、発展してきた。遊里の存在なしに江戸文学はあり得なかったし、浮世絵もあれほどの流行を見なかったであろう。近松門左衛門の名作も生まれなかったであろう。樋口一葉や永井荷風の作品もあり得なかった。水上勉の作品に登場する娼婦たちが人間関係の深層を映し出してくれる鏡となっていることを理解しないでは、作品の魅力を感知したとはいえない。たとえば、『飢餓海峡』の八重、彼女が大金を恵んでくれた犬飼を発見し訪ねたのは、その時のお礼を言いたいだけであったのに、犬飼は自分の地位をまもるためにその純粋無垢な気持ちを蹂躙する。彼女の存在があればこそ、犬飼に象徴される人間の業が鮮明に写し出されるのである。今の時代の若者たちははたしてそれを理解できるだろうか。
 花街が都市文化の重要な部分として今後も維持されていくためには、双方での工夫が必要だろう。花街をただの観光資源として維持するのであれば、都市文化はその色香を失い、衰える。
 脱線してしまったが、北野をどりの話に戻ろう。祇園の都をどりは何度か出かけたことがあるが、ここは初めてだった。面積で見てもお茶屋の数でも、芸舞妓の数でも上七軒は祇園に比べものにならぬくらい小さい。歌舞練場の舞台も小さく、踊り手と観衆の通じ合いをお互い感じ取れる広さと距離であった。それだけに全員参加の一生懸命さや充足感が伝わってくる舞台であったと思う。
 フィナーレで全員が踊る「上七軒夜曲」、はじめて聴いた曲だが、またの邂逅をそそるに十分な色香を感じさせられた。
 上七軒、北野をどりよ、永遠なれ。
 舞子たちよさらに可憐に、芸子たちよさらに美しくあれ。
人類は地球環境危機によって遠からず重要な生存の岐路に立たされるとする警鐘が現実味を帯び始めた。これらの警鐘は、産業的利益の擁護者たちや戦争の推進者たちによって確証のないイデオロギッシュな主張として無視され続け、時には嘲笑の対象にさえなってきた。地球温暖化に起因する気候変動と推定されるさまざまな異変が発生している今、それらの警鐘を率直に受け入れ、提起された主張を現実政策の次元に急展開させることが求められている。とりわけ化石燃料消費の大幅削減の手だてを真剣に考える必要がある。最大のエネルギー浪費であり、自然や文化遺産、景観を破壊する戦争を即刻停止する勇気を指導者たちは示すべきである。
 そのような状況に直面しているのに、現実政治の担い手たちの対応は鈍い。鈍いというよりも、危機意識を持ち合わせていないとしか言いようがない。官僚組織は政治家よりは判断ができるように見えるが、それも彼らに十分な学習能力があり、彼らに仕事を委ねる政治家の水準が高い場合に限ってのことだ。それ以上に問題なのは、市民の環境意識の水準の低さである。
 深刻化する地球環境危機に加えて、地球資源の収奪に弾みがついている。主要資源価格が高騰し、資源をめぐる争いは深刻になっている。特に原油価格の高騰を背景に展開される採掘権をめぐる争いがメディアを賑わせている。地球資源の有限性が検証できる局面に入り始めたとする主張が力を得て、「枯渇」の危機の到来が声高に論じられはじめている。
 資源に関わる危機は二重に展開されている。ひとつは資源浪費による汚染の危機である。この危機は、冒頭に指摘したように、地球規模で共通の認識になりつつある。もう一つは価格騰貴と乱高下、供給の不安定性に示される危機である。この危機はグローバル資本主義の下ではさらに深刻になるに違いない。その中で枯渇の危機が確実に進行している。枯渇は近い将来に直面する問題ではないにしても、地球の資源が有限である以上遠からず現実政策の課題となる。油田の買いあさりや再生可能なエネルギー開発をめぐる競争を見ると、先進地域のリーダーたちは「枯渇」は目前に迫っていると不安を抱き始めているが、真実を直視しようとはしない。
 枯渇に向かう奔流は製造業のための原料に予定される資源にとどまらない。「水」「生物資源」「土壌」等の地球共有材の枯渇は決定的である。人口爆発と生活水準の向上は食料消費を拡大させている。「食のグローバル化」によって先進国の飽食は加速度的に進む。漁業資源や農産物をめぐる争奪戦の過熱ぶりは石油以上である。「水」不足も多くの局地的武力紛争の原因になっている。このように見てくると、現代の資源をめぐる危機的状況は全般的であり、全般的資源危機と命名してもよい広がりと深さを示している。
 持続可能な人類社会を実現するために、地球資源の利用を適正な水準に維持して汚染による環境危機とあわせて解決策を考えよう、その利用を持続可能で公正なものにすべきだとする声も高まってはいるが、その声も資源の排他的囲い込みを目指す資源戦争の進軍ラッパにかき消されてしまっている。他国を出し抜いて、あるいは武力に訴えてでも、安定供給を実現する、これが音色の違いこそあれ各国の進軍ラッパのライトモチーフである。
 この危機を解決する手だてはあるのか。そのためには、そもそも「資源」とは何か、「資源問題」をどのように位置づけるかについてもう少し議論を深めなければならないだろう。先人たちがこのことについて考え実践したことが忘れ去られ、十分に語られ論じられてこなかったことにも、今日の資源をめぐる不協和音の原因の一つがある。社会科学がこの問題にもう少し真摯に取り組んできていたならば、問題の解決の道筋を今よりははるかに明確に示すことができたと思う。そのような自責の念を込めながら、「資源」について考える道筋を示し、直面する「資源問題」の解明のための示唆を得たいと思う。

 名城大学経済学部で2005年度後期に「国際経済政策論�」の講義を「資源・エネルギー問題と持続可能性」をテーマに行った。その講義案に加筆し、注と参照文献を付して出来上がったのがこの仕事である。2006年11月にKIOG Working Paper No.0601として公表したが、幸いなことによい評価を頂き、地域文化学会機関誌『地域文化研究』第9号(2006年12月)、『葦牙(ASHIKABI)』第33号(2007年7月)に全文が収録された。今回の再発表にあたっては、校正ミスと文章表現に手を入れるだけに止めた。例証は古びているが、展開されている論理はまだ十分に生命力を保持していると確信している。(2012年3月31日)
 脚に負担をかけないためにはもう少し減量しなければならないと思っている。それに現在の体重のままでは、車椅子に乗らなければならない事態になったとき、介護者に迷惑をかけることは必定である。このことを話すと、お元気そうなのに考えすぎではありませんかと笑われる。しかしいつ何が起こるかわからないのが、後期高齢者の常である。「転ばぬ先の杖」というではないか。
 減量について主治医に話したところ、京都の高尾病院理事長の江部康二医師が提唱する糖質制限ダイエットを教えてくれた。さっそくネットで調べると、江部医師とその支持者たちの著作はどれがよいのか判断に困るほど無数にある。とりあえず最新の著作を買い求めた。
 江部康二『腹いっぱい食べて楽々痩せる「満腹ダイエット」−肉を食べても酒を飲んでも運動しなくても確実に痩せる!ー』(ソフトバンク新書164、2011年6月)が教えるところは、糖質を多く含む食品や料理を徹底的に遠ざけるという方法である。私もこの方法に似たやり方で減量を実現したことがある。ところが数年も立たぬうちに元に戻ってしまった。原因ははっきりしている。活力があるのでどうしても不規則な暮らしになる。外国出張があろうものなら、一挙に数キロは増えた。
 昔ほどの状況ではないけれども、宴会やパーティ、旅行等の規則正しい生活を攪乱する要素は多い。また失敗するかもしれないという不安はある。この一年の病気で体重はかなり減り、現在は50歳代の体重というところだろう。もう一回りの努力で40歳代の体型を実現すると決意して、糖質を多く含む食材を可能な限り回避する計画を立て、実行を宣言した。
 江部医師の主張で一番気がかりな点は、糖質を摂らなくても脳には十分なエネルギーが供給されるという主張である。糖質を摂らなくても脂質代謝が促進されて脳は活性化するという。上述の書物でもこの点の論証にかなりのページが割かれているから、おそらくこの問題が学会で最も論議を呼んでいるところなのだろう。私の体験からすれば、原稿を書いたり、集中して文献を読んだりするときには、いつも甘い菓子を摂る。そうするとさあ始めようと気合いが入るのだ。この点では長年の慣習を江部医師の主張にそって変えることはむずかしいように思われる。
 ベルトルト・ブレヒトは『ガリレオの生涯』でガリレオ・ガリレイをイタリア人らしい美食家として描き、次のように言わせる。「うまいものを食べていると一番いい考えが浮かぶんだ」と。この台詞は学者として物心ついた頃から私にとって重要な指針であった。欲求に率直であることが人間性を最大限に開花させるという態度は多くの負の側面を私に強いたが、快適な人生ではあった。こと食欲に関する限り、もはやかっての暴飲暴食てきな生活はもはや不可能である。気に入った生ハムとチーズで赤ワインを数杯たしなむのが至福の時である。この程度なら江部医師の処方では合格の筈だ。
 さあ果たして2年後にはどうなっていることやら。意志が欲求をうまく制御できるだろうか。
  心ときめく春が待ち遠しい、このような感情にとらわれたのははじめてのことだ。この冬の寒さは格別に私の身にこたえた。昨年の春は身体が動かなくなり、将来に不安がよぎった。3月11日の東北大災害は春の陽気とは正反対に気持ちを憂鬱にさせた。それだけに今年の春は待ち遠しい。
 京都の桜の季節を私はあまり好まなかった。北国に生まれ育った私には、春とは、流氷が去り、まだ岸辺に残る氷塊が溶け始める頃、雪はまだ時々降るが、路地の根雪が溶け始める頃のことだ。吹く風はまだ冷たいが、清冽な大気の感覚は心地よかった。大地から立ち上る陽炎(かげろう)に春を感じたものだった。それから花々が咲き乱れる原野の春がはじまる。第二の故郷とも思うドイツの「いとうるわしき五月」を愛するのも、私のふるさとの風土に似ているためでもあろう。春は長い冬が終わって始まる生命の再生を実感させる季節であった。
 東北の春も遅い。私が春という季節に感じ取っていた再生の感情を共有できる地域だと思う。桜前線の北上は普通の年であれば、被災地のあたりを通過するのは4月の中下旬だ。今年の異常な寒さは桜の開花を遅らせるだろうか。被災地の桜はことしはどのように花をつけてくれるのだろうか。生命の再生の息吹が彼の地に住む人々に感じ取られ、力になることを願いたい。そうであるだけに今年は春の到来が待たれるのだ。
 最近やたらと人の足もとが気になる。
 昨年今頃から大病し、一時は筋萎縮を引き起こす難病を疑われ、私自身も人生これで終わるかもと半ば決意しかけていた。京大病院に入院して検査を受けたところ、頸椎の老化による障害と判定され放免された。人間の身体は少しの間でも寝込むと筋肉が急速に衰えることがよくわかった。リハビリで力が戻ってきてはいるが、発病前の体力に比べるとようやく半分程度に回復したろうか。
 一番衰えたのは脚の筋肉である。歩行姿勢が極端なまでに悪くなり、すり足でべたべたと歩く。そうなるとすぐにくたびれて、歩ける距離は限られてくる。階段ではいつも転落の不安がよぎり、つまずいて転倒するのではないかと気になるのだ。先日病院で骨密度を測定してもらったのも、転倒したときに簡単に骨折する可能性を自分なりに確認しておきたからだった。予想以上によい結果が出て、油断してはならないけれども、転倒による骨折の不安からはいくらかは解放された。
 しかし問題は下半身の筋力を強化し、歩く姿勢を改善費なければ意味がない。転倒しないように歩く姿勢はどのようなものか、姿勢よく地面を蹴るように歩けるようになるにはどのような工夫が必要なのか、散歩しながらリハビリをしながらいつも目が行くのは同年代とおぼしき男性たちの足もとである。学ぶことがあれば教訓としたく、ぶしつけながら観察させて頂いている。
  昨年末あたりからどうも胃の調子がもう一つで、痛みなどはないのだが、少々もたれるような気がする。薬をたくさん飲んでいるのので、なかには胃の調子を悪くさせるものもあるのだろう。2年に一度胃カメラで検査してもらうことにしていて、予定では来年なのだが、一年早めることにした。
 もう何回も体験している検査とはいえ、あの太い中部がのどを通過するときの不快感を思い出すと、検査室に入るのはやはり気が重くなる。ところが、一年前の様子を記憶していないのだが、機器も技術も改善されていた。ファイバースコープを口からではなく鼻から入れるのものになり、格段に細くなった。前のような嘔吐感もなくすんなりと入ったし、所要時間も短くなったような気がする。鼻腔やのどの麻酔も軽くなった。医療従事者と企業側の開発担当者のたゆまぬ努力と緊密な協力がこれほどまでに患者に見える医療技術はあまりないのではないか。
 私の胃には問題はなく、無罪放免となった。ほっとした。これでまたお酒も飲める。 
 いま、このような優れた医療技術を開発した企業が、経営者のモラルの低下とコンプライアンスに対する認識の低さから、あっという間にその企業価値を低下させている。開発に関わる技術者、製造に携わる労働者、営業に走り回る従業員の努力はこれでは報われない。金融的投機に頼ってでもその地位を維持したい経営者の倫理と技術者や労働者の日常的な労働との間のギャップはグローバル資本主義の支配の下でますます拡大する。労働が正当な位置を与えられる社会をどのようにして実現していったらよいのか。このスキャンダラスな事件の意味を検査を待つ間にあれこれ考えていた。
  海図のない船旅に乗り出して、どう生きるかのお手本をさがす日々が続いている。それももっぱら身体的能力に関するものだ。生き抜くためにはどのような体力を維持、補強しなければならないのか、通りを歩く人の歩き方まで気になるこの頃である。
 昨年末、友人が80歳で逝った。転倒して骨折し、それが引き金になって持病が悪化したためであった。骨がもろくなっていたのだという。骨粗鬆症は女性に特有の病だと思っていたのに、男性にもあると知って少々不安になった。ネットで調べてみると、発症する人の20パーセントは男性という。決して低い数字ではない。
 そういうこともあって、先日かかりつけの病院で骨密度を調べてもらった。簡単なレントゲン検査で、すぐに検査結果が出た。おそるおそる覗いた検査結果は私を突然有頂天似させる内容だった。あまりの数字の良さに個人情報を公開したくなった。長く生きてきたこんなよい数字を頂いたのははじめてのことだ。
 同年齢の平均に対して154パーセント、若年成人に対して130パーセントで、正常値が若年成人の80パーセント、骨粗鬆症は若年成人の70パーセントというから、骨密度が低い方にいくらか譲ってもよいくらいのデータである。
 主治医に聞いてみた。これはこどもの頃にカルシウムを十分摂取していたからでしょうね。いやそうではないでしょ。親から頂いた体質でしょう。いくらカルシウムを摂取しても骨にならなければ意味がありませんからね。
 私は子どもの頃の食生活の影響だと考えたいのである。毎日魚肉ばかり食していた。獣肉や卵を食する家庭がうらやましかった。鰊が獲れる春には鰊ばかり食べさせられた。鰊の小骨がのどに刺さり、取るのに苦労した。学校から帰ると鰊のつみれを作るのにすり鉢とすりこぎが待っていた。手抜きをすると小骨が残っり、のどに刺さったものだ。あの頃のいやだった食事にも感謝しなければならない。
 骨が若者以上とといったら、長生きしますよと多くの人にからかわれた。そうかもしれない。足腰をもう少し鍛えれば、体力としては問題ないだろう。しかし一番気がかりなのは、頭なんだけけれどね。  
  先日76歳の誕生日をかってない喜びに満たされて迎えた。この年齢をこの知力と感性で、この体力で生きられるというのはうれしいことではないか。
 誕生日を迎えること、歳を重ねることは、青年時代には待ち遠しいことであった。早く成人して選挙権その他の権利を得たかった。知的に成熟した人々は憧れの対象であった。自分はあの水準に到達できるだろうかと不安になった。
 父が死んだ年齢を超えたとき、うれしさがあった。しかしこの頃からであろうか、老いに向かい死に近づくことに不安を感じ始めた。誕生日に自分の年齢を数えることは喜びとはいえなかった。
 いつ死んでもおかしくない年齢になっているのだが、それだけに今充実して生きていることが、たまらなくうれしいのだ。海図のない船出のようなものでいつ座礁するか、いつ氷山に衝突して転覆するかわからない。しかしそれも受け入れられるような気がするのだ。
  二、三日前昨年秋から計画していたウェブサイト完成のめどがついた。昨年は体調を崩してもう自分もお終いかと考えていただけに、考えて書く場所が整えられたことは、あらためて生きる意欲を高めてくれる。 

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