2010年6月アーカイブ

2010年6月29日

府立総合資料館

 久しぶりで総合資料館にかけた。最後に出かけたのは20年以上前になるだろうか。大阪の勤務先まで出かけて資料を探すよりも散歩の距離にあるここの方が都合がよかったから、白書や統計をみるのによくでかけたものだ。

 前は歩いたものをいまは地下鉄で二駅目の北山駅で下車、便利になった。外観は昔と全く変わらず。ということはそれだけ老朽化したということだ。エントランスも変わらず。2階の閲覧室に続く正面階段もあの頃は苦もなく上がれたのに今は少々息が弾む。

 しかし閲覧室に入ると昔のままで安堵した。大きな机は昔のまま、資料やノートを広げて仕事ができる。閲覧室からの眺めも昔とほとんど変わらない。比叡山と府立大学農場の緑は目を十二分に休ませてくれる。このような眺めを見ながら読書できるのは幸せなことだ。

 昔より利用者が多いように思われた。地下鉄の延伸と高齢化の影響だろうか。これからたびたび利用しようと思う。北山通にはあの頃と違いレストランや喫茶が立ち並んでいる。お昼はどこかよい店を見つけて食事をし、隣の府立植物園を散策する、これも高齢によって実現した至福の時間ではある。なにしろ時間に制約されることなく生きられるのだから。

2010年6月21日

デパ地下散策

食品の在庫管理は私の仕事である。仕入れのルートはだいたい四つある。第1は京都生協の配達、かさばるもの、重いもの、保存用の缶詰等を購入する。第2は毎週西賀茂から売りに来る農家の人から1週間分の野菜を買う。第3は大丸デパートの地下と錦市場である。平均して週1回散歩をかねて出かける。買う店とコーナーは決めている。河原町三条の明治屋に足を伸ばすこともある。第4は近隣のスーパーマーケットである。

 昨日の食材調達は烏丸六角のスターバックスからはじまった。ここでコーヒー豆ををいつも引いてもらう。コーヒーは銘柄にこだわりはない。朝にコーヒーをたっぷり飲むのは昔在外研究でドイツに滞在したときからの習慣である。最近はアフリカ産を買うことが多く、タンザニア産を買い求めた。

 四条の大丸まで歩き、食材の蓄えと夕食のおかずを買い求めた。私はいつもリュックに買い物用のトートバックを入れていて、買い物袋を原則としてもらわない。エコロジストの生活態度の基本だと思っている。周囲を観察すると買い物袋を持参している人はほとんど見かけない。いったいエコバックのブームは何だったのろうか。環境教育のいい加減さとデパート側の省資源策の無策ぶりを思わずにいられない。

  自前の袋で買い物をすると万引きを疑われることがあるという考えもあるという。本当だろうか。私のように人相の悪いものでもそのように疑われ調べられたことは一度もない。

 大丸から地下鉄の四条駅まで重い買い物袋をぶら下げて歩くのがだんだんとつらくなってきた。それそろ体力にあった運搬方法を考える時期なのかもしれない。

 

2010年6月19日

コンピュータを使って四半世紀

 一昨日ウィンドウズ7の搭載機に切り替えた。8年ほど使ったXP搭載機は頻繁にフリーズし、メモリーもハードディスクも限界にきたように思われたので思い切って帰ることにした。

 コンピュータを初めて手にしたのは1988年のことだ。その年に出した書物の印税で一式買いそろえた。NECのVM21という機種だったと思う。あれから何台買い換えたかすっかり忘れてしまった。8インチのフロッピーディスクが5インチのに変わり、3.5インチが出はじめたころだった。

 今では私の筆記用具とノートになり、文書庫にもなっている。表現の形式も広がった。このブログ記事などもその結果の一つである。

 生活様式も激変している。必要な情報はネット上で探し、買い物も通販の利用が多くなった。私の本業にかかわる書籍購入についても書店に出かける回数は激減した。

 コンピュータを使うにあたって心がけていることがある。

 第1に、伝統的な書く作法は可能なかぎり維持することである。手紙をメールに切り替えること、すべて印字による手紙は書かないことだ。もっとも最近は年相応に字が乱れ、自分でも判読不能になることもあるので、他人に迷惑をかけぬようサイン以外は印字によっている。

 第2に、設定や故障の解決は可能な限り人の手を借りないことである。今回はこの原則を完全に逸脱してしまった。机の下に潜り込んで作業する体力はもうない。業者の人は私がしたら数日はかかる作業を半日でやってくれた。この先の技術進化にうまく対応できるのだろうか。不安がよぎる。

2010年6月13日

近現代史資料が劣化して消える

 久しぶりに学会出席にために東京にむかった。その前日11日(金)に横浜に途中下車し、新聞ライブラリーを訪ねた。

  この数年私は郷里である北海道根室市の空襲記録を書いている。他の仕事はさておいてもこれだけは私しか書き残せないことだから、なんとしても完成させたいと願っている。

 根室空襲は現代史に滅多に登場しない。登場しても誤りが多い。あれだけの死者を出した惨禍、私自身の運命を大きく変えたあの空襲を正しく伝えて欲しいという気持が昂ぶっている。当時の『北海道新聞』札幌版を北海道立文書館で発見したが、空襲に関する軍の発表に根室の名はなかったその点を他の新聞で確かめてみたかった。

 『朝日新聞』と『読売報知新聞』の記事を探しだし、『北海道新聞』の記事と比較たが、軍の発表の内容は同じで私の町の名はなかった。なぜないのか調べるべき謎が増えた。意図的に隠蔽したのか、それとも省略したのか。

 驚いたのは、『北海道新聞』も『朝日新聞』もマイクロフィルムで保存されているが、劣化して読み取ることが難しかったことだ。このままではそれほど遠くない時期には消えてしまうだろう。酸性紙やフィルムで保存されている資料が使えなくなった時、現代史研究はいったいどうなるのだろうか。

 

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2010年6月10日

まちが壊れる

 この1ヶ月ほどは工事現場の中で暮らしているような感じがする。町内の空き家が次々と解体されてゆく。とっくに営業はしやめていた銭湯はあっという間に更地になった。マンションが建つという。筋向かいの家、独居の老人が住んでおられたが亡くなられてから数年空き家のまま、ようやく売れたのか解体工事がはじまった。勝手口の前の路地にあった建物も道を閉鎖して解体中である。京都のまちは自動車が登場する以前からの区画だから、工事用の車両が入れる道は少ない。比較的広いわが家の前の道には工事用車両が駐車することになる。

 家が古びて新しいものに立て替えられることは避けられないことだ。ところがマンションが建つとそこの住民たちは町内会には入らない。誰が住んでいるかもわからない。町内会には住民の半数も入っていないのではないか。

 まちは物理的に壊れるだけではなく、地域の連帯意識も同時に壊れてゆく。

2010年6月1日

 どうも書きはじめると長くなり、理屈が多くなる。日常の中で体験する非日常的なもの、私にとっては日常的だが読み手にとっては面白そうなものも書いてみたくなった。

 時々日付をいれて書いてみたいと思う。70歳台も半ばになるとどうしても昔の話が多くなる。これはやむを得ないことだろう。何しろ半世紀以上生きているのだから。できるだけ昔話は書かず、日常に徹したいと思う。

 

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