2010年9月アーカイブ

 昨日岡崎公園にある府立図書館に調べ物に出かけた。

R0010988.JPG 古い府立図書館は明治期の名建築として評価の高い建物であったが、手狭になったことを理由に立て直しを計画。保存運動に抗しがたく外壁を残して新築された。はいってみるととにかく閲覧席が少ない。岡崎のこの場所に作ることにこだわった結果だ。昔の建物をそのまま残して別の目的に利用し、図書館は別途建設した方がよかったのではないか。たとえば中京区にある府庁を移転させ、あの地域に図書館や博物館をつくったら京都の文化的価値はさらに高まっただろうに。京都所司代の後に今後も地方権力を維持したいという考えはそろそろ考え直す時期ではないか。

 図書館の北隣に明治期のお雇い外国人、ゴットフリード・ワグネR0010987.JPGル(Gottfried Wagener)(正確にはワーゲナー)の立派な顕彰碑がある。その写真を撮っていたら、散歩中の老人がよってきて私に尋ねた。「これはどなたの記念碑でしょうか」「京都の殖産興業に功績のあったドイツ人の顕彰碑ですよ」「説明文があればよいのにねえ」。碑に組み込まれた銅板の説明文は錆びて読むのが困難だ。これだけ大きな顕彰碑を建てているのだから別に説明文があってもよいのではないか。

 図書館の前には吉田松陰の大きな歌碑がある。なぜそこにあるのか、誰が建立したものかわからない。岡崎は歩いてみると多くの謎に直面する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今朝は気温がかなり下がり快適に目覚めた。

 8月中旬病院退院直後に風邪をひいた。入院で体力が落ち免疫力が低下していたことについて注意が足りなかった。エアコンをきったままで昼寝を決め込んで微熱から高熱の状態にかわり意識はもうろうとして立ち上がることができなかった。なんとか持ちこたえたが、これが今話題の熱中症なのかと自己判断した。どこの内臓がやられているかわからないから、慎重にしていた方がよいという友人たちの忠告に揺すられて、今日まで考えたり書いたりする仕事を中断していた。今日の日中の最高気温は30度くらいだろうか。おそるおそる仕事を再開した。

 連日35度を超える猛暑日が続き、テレビのお天気キャスターは予報の最後に「熱中症に気をつけましょう」と付け加えることを忘れない。彼らの責任ではないのだが、いったいどのようなことに気をつけたらよいのか、35度の日と34度の日とでは条件はどのように違うのか誰も説明してはくれない。行政の対策は見えてこない。

 劣悪な住宅事情の下でエアコンなしに暮らす高齢者貧困層、とりわけ独居者に対するきめこまかな配慮が必要ではないか。先日、隣に住む独居の老人が熱中症で緊急入院した。法事のために訪ねてきたお坊さんが発見したという。数日前近くの交番から電話があった。安否を尋ねるものであった。交番は管轄区域の世帯の実態を把握する台帳を毎年更新しているからそれを利用したのだろう。しかしよく考えてみると、いったい市の行政はなしをしているのか。夏になると動物園の動物に氷を贈ったという画像が映し出される。今年ほどこのニュースに違和感を覚えたことはない。高齢の人間は動物園の動物以下なのか。

 今年は猛暑を何とか乗り切れた。来年は無能な行政を当てにせず、少しは知恵を働かせて生きよう。

 

 

2010年8月19日(入院日記抄)

今日退院。

近々に死に至る病根は発見されず、その点ではほっとしたが、身体のきしみは強まるばかり、注意深く生きなければならない。

体重減少顕著。

2010年8月18日(入院日記抄)

R0010979.JPG明日は我が身ーいかにぼけるかー

 昨夜は隣の患者さんに悩まされ続けた。これまでは夜中に看護師さんを頻繁に呼びつける、トイレに立って転倒するなどは通常のことだから我慢の範囲だったが、昨夜は「そこに誰かいるのか」と叫び続け、とうとう息を潜めて感づかれないようにしていた隣人の気配を感じとり、仕切りのカーテンを引き開けた。「やっぱりいるじゃないか」「どうして看護師を呼んでくれないのか」という。ぼくは詰め所の前に逃走した。

 高齢化社会が進むと病室が認知症がはじまった老人たちによって埋め尽くされる。いずれぼくもそのお仲間になるはずだ。できるだけ人に迷惑をかけずに最晩年を生きたいと思う。認知症によって新しい人格に変わるなだろうか、それとも自身のなかに潜んでいる人格が現れるのだろうか。子どもの頃私はシャイでおとなしい子であった。なろうことなら、子どもの頃に還ってほしいものだ。

 認知症が始まった高齢者たちを見ていて、その避けられない生の始まりに備えることができるのか考えさせたれた。

 

2010年8月17日(入院日記抄)

 午前中、退院準備のため荷物の一部を自宅に持ち帰る。

 午後2時30分、主治医W医師から検査結果について説明あり、明後日退院と決まる。

 暴飲暴食

 なぜ肥満になり血糖値が上がったのか、理由を尋ねられると私は「暴飲暴食」の結果ですよと答える。誰のせいでもない、自分の放縦な生活の結果ですよと、答える。W医師はこの四文字熟語は面白いのでカルテに載せておきましたよという。若い世代の人にはあまり聞かない新鮮な響きをもった表現法なのだろうか。

 そんなはずはあるまい。ただ「暴飲暴食」には客観的な基準はない。どこからがノーマルな状況を逸脱しているかなどわかるはずがない。状況の説明であるよりも 、少々自虐的な表現ではないかと思う。同じような表現として「牛飲馬食」というのがある。必要なだけ食しているのに人間の食の態度になぞらえられるとは、牛や馬に対して礼を欠いた表現だと思う。彼らに比べたら人間は実に因果な動物だ。人類誕生の頃には持っていたと思われる欲望を制御するすべを完全に失っている。私はよく食べよく飲んだ。それなりに収入もあったし、前に出されるものを嫌いではなかったからだ。それが「暴」であることなどあらかじめ知ることなどできなかった。本能のセンサーがまだ機能していたらこんなことにはならなかったのに。

 暴飲暴食というけったいな言葉を詰所ではやらせることになったかもしれない。

 

 

2010年8月16日(入院日記抄)

 昨日は猛暑の中の散策で7000歩ほど歩き、心地よい疲れで昨夜は夜中に一度も目覚めずぐっすり眠れた。

 今日の検査は脳の血流検査と胃カメラ。

  詰所の前に長椅子が数脚置かれており、ここがたまり場である。6人部屋の病室はそれぞれカーテンで仕切られており、私のベットは一番条件が悪い。エアコンの吹き出し口の真下にあり冷却した空気をまともに受けることになる。朝目覚めると書物とメモをもってこのたまり場に逃げ出す。見舞客や家族と対応できるスペースがあれば、読書ができる机があれば入院暮らしもいくらかは快適になるのだが。ここ場所にたむろしていてたくさんの人たちと知り合いのなれた。お互いに自分の病気や病院等の診療施設についての知見を語り合う中で、生き方に関わって実に多くのことを学んだ。生活保護を含む社会保障制度の現実もごく一部だが垣間見ることができた。

 大学教授であったと言うことは退職後に生き生きと暮らしていこうとすれば大きな障害になる。長い教師暮らしで身についた悪弊からきっぱりと決別し、市井の学者、しかも少々変わり者の貧乏学者として認められ、地域の仲間に加えてもらうには、相当の努力が必要だ。いくらかはそのように迎え入れてもらえたような気がする。

 

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