2010年10月アーカイブ

 昨日の新聞に大阪阿倍野の縄のれんの店、明治屋の閉店を伝える小さな記事を見つけた。昔を懐かしく思い出した。昔の話をブログには書かないという禁を犯して、あえてこの文章を明治屋とそこでの数々の想い出に捧げたい。

  明治屋に飲みに行き始めたのはいつ頃のことだったか、正確には思い出せない。無類の酒好きであったH君と一緒したのが最初ではなかったか。午後3時頃だったと思う。2部(夜間課程)の仕事が2時限にある。それまでの時間をもてあましていたので、彼の「いっぱいのみに行きませんか」という誘いに乗った。昼から酒を飲ます店があるとは知らなかった。それが最初だったと思う。

 講義の合間に酒を飲むなど、いまなら発覚したら処分ものであろう。私の学生の頃は教授たちが研究室にアルコール類をおいているのはよくあることだったし、酒を飲んでから講義する人は多かったと思う。私もその一人だった。皮に出ないうえ、においが残るほどは飲まなかった。過ぎるとろれつが回らなくなるが、適量の酒は口の動きをなめらかにし、学生の発する雑音も気になrなくなる。芸術家たちが舞台へのでの前に酒を飲む気持ちがわかったような気がした。

 あとで知ったことだったが、H君は肝炎ビールスのキャリアで、肝臓癌で亡くなった。誘い誘われよく飲んだが、キャリアと知っていれば誘いを自重したものを説くやまれる。明治屋の想い出は否応なしに彼への慚愧の思いにつながる。

 明治屋は午後1時に開店する。数種の日本酒から注文するとコップ酒が出てくる。長く座っていると尻が痛くなる椅子、簡単なあてで酒を飲む。立て込んでくると酒を注文しない客は追い出される。うちは酒を売って商売しているのだからというのが理由だ。女性客も多かった。当時としては珍しい店だった。男性客が女性客にからむそぶりを見せると、店主が上手に制止した。庶民のまちの中でゆっくりするためのさりげない心遣いを、今思い返してみると貴重なものだった。

 再開発で周りが更地にされた中でただ一軒最後まで抵抗していた。どこで再開されるのだろうか。ビルの一室におさまってしまうのでは、私の思い出は無残にも破壊される。そうならないことを願っている。

 

 

20101年10月26日−庭木との別れー

 庭木の何本かが元気がない。中庭にある楓の葉はすっかり枯れてしまった。今年の夏の暑さは以上だったから人間だけでなく樹木も消耗したに違いない。落葉樹だから来春また葉を茂らせてくれるものと思っていたが、出入りの庭師のMさんに念のため見てもらった。

 完全に枯れています、寿命ですとの判断で、すぐに切り倒されてしまった。この木がいつから庭にあったのか知らない。おそらく植えたものではなく、鳥が運んできたものだろう。この木と並んで山茶花もあったが,カミキリムシに入り込まれてあっさりと食い殺されてしまった。

 ヒバの木があるが、この木も鳥が運んできたものだ。元気がないから、そのうち枯れるかもしれない。

 切り倒されたあとに、再び新しい生命が持ち込まれることをことをねがわずにはいられない。

20101年10月25日−西本願寺御影堂でー

 Kさん夫妻を案内して西本願寺を散策した。

 この寺の広々とした御堂のなかで静寂の中に座するのは時の経つのを忘れるほど心地よい。阿弥陀堂では時々法要に遭遇する。読経の響きは心地よさを増幅する。

 御影堂に移動して読経の始まるのを待った。読経の時を告げる鐘が鳴り、親鸞木像の前で二人の若い男女の僧が澄み切った若々しい節回しで読経を始めた。これまで聴いたことのない節回しであった。読経が終わり年配の僧がこのお経は織田信長と10年にわたり合戦に及んだときにも石山本願寺において毎日欠かさずあげられていたものとその由緒を説明した。宗祖の前で毎日このように読経されていることに、本願寺の怨念を感じた。

 石山本願寺の御影堂もこの御堂に匹敵するもの規模だったに違いない。堂内を埋め尽くした門徒が唱和する南無阿弥陀仏の迫力を想像した。かって権力者たちを震え上がらせたエネルギーが今の時代に再生することを願う。

 

 

 

20101年10月18日−「語る力」ー

先週土曜日、東京に出かけ、ある学会の例会で報告をした。

 大学を辞めてからパーティでのスピーチの機会を除けば多数の人の前で話す機会はほとんどなくなった。そのスピーチもできるだけ辞退するようにしている。年齢を重ねるとともに「老いの繰り言」で話は長くなる。老大家やボスにスピーチさせてパーティーを台無しにした現場を体験して、自分はあのような醜態をさらしたくないと思う。

 ところが、話す機会を制限すると、「語る力」は確実に落ちてくる。固有名詞がなかなか出てこない上、適切な言葉を発見するのに時間がかかるようになる。口の周りが悪くなり、明瞭な口調で話せなくなる。講演やスピーチでなくとも、できるだけ人と話す機会を作らねばと考えるようになった。

 学会の例会での発表の誘いを受けたとき、5年もの空白を克服できるのか不安であった。聴かれた人がどのような印象を持たれたか走らぬが、適当に舌は回ってくれ、質疑時間も入れて3時間がんばれた。すこし自信を取り戻せた。眠り込んでいた研究のアイデアをすこし前に進めてみようか、帰りの新幹線の中で考えた。「話す力」を維持すること、これは体力を維持するのと同じくらい重要なことだ。

 

20101年10月12日−買い出し散歩ー

 今日は午前中比較的仕事が順調に進んだので、散歩をかねて食材買い出しに出かけた。

 途中で書店に立ち寄り経済週刊誌を買い求めた。「袋も表紙もいりません。この袋に入れますから」「それではおしるしを晴らせて頂きます」「ちょうと待ってください。お金を払ったのですからこれはぼくのものです。雑誌を汚さないでください」。以前はこういうやりとりを方々の書店でやった。いまはこういう書店にはお目にかかることはない。表紙もふくろもいらないと言えば、たいていの場合感謝される。「レシートを店を出るまでお持ちください」というのが普通になっている。レジの女性にはぼくは相当人相悪く見えたのだろう。

R0011001.JPG 大丸デパートの中を抜けて錦市場に出る。身欠鰊(みがきにしん)を山市さんで買う。魚の干物はいつもこの店と決めている。応対してくれる番頭さんは私と同じ年齢で、錦市場に出かけるとこの店は関所のようなものだ。いつも挨拶を交わす。

 大丸の地下で今夜の食材を買う。献立は秘中の秘。それから地下鉄出口方向に向かうと、もう一つ関所がまっている。仙R0011005.JPG太郎という和菓子屋だ。環境に配慮した菓子作りをしているので時々買うことにしている。きょうも甘いものを食べたいという誘惑に負けて勝ってしまった。

 地下鉄四条駅コンコースの地下にできたスーパーマーケットを覗き、お総菜を試しに買う。口に合えば買い出しのレパートリーに加えることにしよう。

 今日の万歩計の表示は約5000歩.

 

 今月初め地下鉄四条駅のコンコースに新しいショッピング・センターが誕生した。「コトチカ」と呼ぶそうな。

R0011006.JPG 私も買い出しにでたついでにのぞいてみた。およそ京都の地下鉄駅には似つかわしくない異様な賑わいで、出店している洋菓子店の菓子を買うのに行列ができ、ガードマンもでるほどだ。喫茶店もありスーパーマーケットもある。乗り換え客には便利にはなった。四条駅の乗降客が増えたということで、赤字解消のため奮闘している(ふりをしている)京都市交通局も大喜びという。

  こんな小さなまち、しかも埋蔵文化財の多いまちに地下鉄を2路線もこさえたことの是非はひとまずおいておこう。なぜこんな簡単な試みをこれまでしてこなかったのか疑問がもつのは私だけではあるまい。赤字対策を今日まで真剣にやってこなかった市の責任者たちの無責任ぶりに腹が立つ。

R0010996.JPG ついでにもう一つ、この機会に腹を立てるならば、地下二階につくった店の前の階段はいったい何だろう。エスカレーターを降りたら、まだ数段の、しかも眼の弱い高齢者には危険な階段がある。これは設計上やむをないものだったのだろうか。それとも設計ミスをごまかした結果なんなのか。

 

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