2011年1月アーカイブ

 来月某日私は75歳になる。先日、区役所か保険証が送られてきた。ついにきたかという気分に襲われた。今年頂いた年賀状にも、「私もとうとう後期高齢者の仲間入りをしました」といういささか自嘲的な添え書きもいくつか見られたが、私自身もなんとも奇妙な気分になった。75歳から生理的に衰えるとかそういう根拠があってのことではない、保険制度の赤字を解消するというだけの理由で高齢者を区分したのだ。批判を受けて慌てて「長寿」と付け加えてみたが本質は変わらない。

 それにしても保険証の紙質の悪さ、これまでの保険証に比べて数段見劣りがする。「長寿」なのだから、同封書類に長寿を祝う表現があってもいいのに、通り一遍の官僚作文である。金縁の立派な保険証を頂戴できると思っていたのに、ここにも高齢者に金をかける必要はないという発想が見え隠れする。

 家族の保険証から勝手に引きはがすのに、旧来の国民健康保険からの脱退手続きは各自でしてくれという。家族の保険から切り離されて頼りない高齢の個人となる。これで私もいつ死んでもよい整理ポストに入れられたのだと自嘲的にもなるのもとうぜんではないか。

 保険料は年金から天引き、しかも金額は数ヶ月後に通知するという。国民健康保険の場合は保険料を滞納すれば保険証を取り上げられ、無保険者となる。無保険者たちはこれからどうなるのだろう。年金受給者であれば強制的に加入させられ、天引きによって確実にむしり取られるのだろうか。

 改めて送ってきた封筒の差出人を見ると、保険年金課資格担当とある。お上からありがたい「資格」を頂戴したのだ。 

 

「グローバル人材」とはいったい何だ

   『日本経済新聞』1月18日付夕刊のトップに「育て グローバル人材」と大きな見出しの記事があった。産業界が「内向き」学生を刺激する施策を準備しているのだそうだ。
 このところ大学生たちの内向き志向が問題視され始めている。若者たちは海外に出たがらなくなっているのは何故か。その原因探しが始まっている。メディアはその主な原因を「就活」に求めている。それなら解決法を見つけるのは簡単だ。いまの採用制度を抜本的に変革したらよいだけのことだ。私は今の原因探しはあまりにも無責任な風潮だと思う。真の原因は今の教育の状況とそれを生み出した施策にある。そこに大胆にメスを入れない限り問題の解決はありえない。
 産業界が少しはましな施策を出したのかとよく読んでみると、ただの海外留学奨学金制度を作るというだけの提案だった。東大、京大、早稲田、慶応等の特定の大学に限って、どの程度の規模かわからないが留学を支援すれば「内向き」学生を刺激できるというのだ。
 荒廃する教育の帰結であるこの現象がこの程度の小手先の施策で解決にむかうとは到底考えられない。しかもである。指定されない数百の大学の学生の「内向き」はどうなるのか。
 いまや本腰をいれて教育改革に取り組むべきである。その改革なしに人材は育たない。その改革を教育現場を知らない文科省官僚や大学に大企業が即戦力として必要とする人材の提供だけを執拗に求めてきた経営者団体にゆだねてはならない。彼らこそいじり回して教育を駄目にした元凶なのだから。しかも「就活」が原因だというのなら、採用制度の改革を早速実現してもらいたいものだ。
 かって大学管理が強化され今日の荒廃が兆し始めたとき、数学教育の分野で優れた仕事をしたことで知られる遠山啓氏は、大学が駄目になってもまだ小学校教育に望みを託すことができるとされたが、その小学校教育も荒廃してしまった。あらためて大学教育を見直す時期に来ているのではないか。おそらく長期にわたるであろう改革論議に大学人だけでなくあらゆる階層の人々が参加してほしいものだ。(2011.1.26)

PICT0013.JPGのサムネール画像 

2011年1月17日ー阪神・淡路大震災16周年ー

 あの日から16年も経過したとは到底考えられない。この日とこの日から始まった体験の記憶はなまなましく私の身体に刻み込まれている。

 私は京都に住んでいたが、大きな揺れに飛び起きた。北海道の地震多発地帯に生まれ大地震を体験した私にはただならぬ災害のは発生を予感させた。神戸に大地震が発生するなど誰が予想できただろう。夜が明けてテレビ映像が流されはじめ、被害の深刻さが明らかになり始めた。

 神戸のまち、とりわけ長田のまちが燃え去るのをヘリコプター空の映像が刻々と移しだしていた。あの燃えさかる火に私の空襲体験を思い出し、重ね合わせていた。あの映像には多くの無残な死と悲惨があるのに、あの報道の姿勢はあまりにも野次馬的で人情に反するものだったと今もおもう。人権侵害もものともぜすつきまとうパパラッチ以下だった。あの報道姿勢は今も基本的に変わっていない。

 感動させられたのは、無数の市民的連帯の活動だった。被災した神戸市民の他を思いやる活動、若者たちのボランティア活動の体験は語り継がれなければならない。

 まだ現役の大学教員であった私に出来ることは限られていた。ひとり長田に調査に入り、在日外国人その他の被害の意味について論文を執筆し、ささやかではあるが私の連帯の表明とした。

2011年1月10日ー高い天井の効用(続)ー

 「高い天井」について書きながら思い出したことがあるので書き留めておきたい。

 あれは何年のことだったか正確な年月は思い出せないのだが、調査のため南アフリカ共和国のケープタウンを訪ねた時のことだ。当時私は大学hが監獄ではないかと真剣に考えていた。私自身の大学内での閉塞的状況に加えて大学自治や学問研究の自由は内部から掘り崩され、息が詰まりそうだった。

 ウォーターフロントにあるホテルに泊まった。壁が厚く窓の小さい外観は一見してそれとわかった。内部は通常のホテルに改装されていたが、説明によると20世紀初め頃まで刑務所であったという。刑務所跡に泊まるとは人生初めての体験だった。歴史的建造物に指定されているというので、翌朝建物内を散策したところ、建物の半分が原型を残して保存され、驚くことにビジネススクールに使われていた。

 広い廊下の両側に独房が並ぶ。天井は金網状の素通しで2階からも看守が見張れるようになっている。鉄格子をはめた窓から覗くと少人数のセミナーか講義が行われていた。日本の教育現場とは大違いの真剣な雰囲気が感じ取られた。教育はある程度まで個人の自由を拘束する。それを監獄と感じるかどうかは、教えられる側の向上心と熱意にかかっている。監獄跡での教育はのぞき見の限りでは拘束感はなかった。

 ちなみに天井は高かった。

  

2011年1月7日ー高い天井の効用ー

 自由の身になってから喫茶店に立ち寄ることが多くなった。スポーツクラブの帰り道、買い物散歩の途中にふとコーヒーが飲みたくなる。京都は昔から喫茶店の多いまちで、戦前からの店も多い。それに加えて最近ではチェーン店も増えている。この国のまちには広場がない。休息を取るベンチも場所もない通りをただただ歩かされるだけである。足の弱い高齢者にはつらいことだ。ヨーロッパのまちを歩くと広場がありテラスがある。休息をとる場所はたくさん用意されている。テラスに座って広場や通りを眺めながらのんびりと時間をつぶす、新聞を読む、考え事をする、これはヨーロッパに滞在した頃の日常的な至福の時間だった。

 この国の喫茶店はその代用品であったといえるかもしれない。ところが今では喫茶店文化が若者たちに受け入れられずに衰退し始めているように見える。京都でさえも心地よく座れる喫茶店は少なくなっている。

 最近よく立ち寄る「テラス」代わりの喫茶店は外資系Sチェーンの店だ。提供されているコーヒーの味、サービスの良さもさることながら、私が気に入っているのはその天井の高さだ。ビルの吹き抜けを利用して2階天井相当の高さになっている。片方の壁は3階天井相当の高さで総ガラス張りで、窓を通して隣接する寺院の全景が見渡せる。ときおり撞かれる鐘の音も聞こえてくる。

 天井が高いことにはいくつかの利点があると思う。第1に、エアコンの効き方が適度で心地よい。天井が低いと冬季には暖気が頭のあたりに漂って眠くなるのだが、それがない。第2に、声があまり反響せず雑音を気にしないで時間を過ごせる。

 第3に、天井が低さがもたらす心理的圧迫感がない。このことに気がついたのはいつ頃のことだったろうか。若い時代には仕事をするのに場所を選ばなかった。大学に失望し始めた頃からは研究室は牢獄そのもののように感じられた。幸か不幸か私は囚われの身を体験したことがない。狭い部屋と低い天井、ソファにひっくりかえって天井を眺めるとあの無機質な光景が迫ってくる。あの時代は最悪だった。

 高い天井の下で考えるのは心地よい。よい着想もたくさん生まれる。

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