2011年2月アーカイブ

2011年3月15日ー蟹と山葡萄ー

 前回にも触れた佐藤春夫に「望郷五月歌」と題する詩がある。都会の喧噪の中で故郷の風土を想い懐かしむ絶唱である。紀伊半島新宮市の熊野速玉神社の境内にこの詩の一部が刻まれてある。このまちを訪れるときにはいつもこの詩碑の前に立つ。19世紀ドイツ詩人ハインリッヒ・ハイネの詩集『歌の本』からとられ、ローベルト・シューマンの歌曲集『詩人の恋』の冒頭におさめられた「いとうるわしき五月に」を想起させる。
 故郷の風景、というよりもかってわたしが高等学校時代まで生活したのまちの風景への思いが募るばかりだ。根雪がとけ流氷も去り、春の近いことを感じさせる陽光で大地からわき上がるように立ち上る水蒸気、せかえらんばかりに土の香りは花々が一斉に咲き乱れる季節の近いことを予感させてくれたものだった。清冽な大気は水平線上に知床連山と国後をすぐそこにあるかのように引き寄せてくれた。春よりは冬に近い大気の透明感はいまだにわたしの身体に感触として残されている。あの風景と感覚はいまも変わらずに体験できるのだろうか。詩心があるならば、わたしも春夫にならって故郷の五月をうたいたいものだ。
 先月わたしは75回目の誕生日を迎えた。もともと誕生日を祝うことをしてこなかったわたしだが、ここまで成長させ生き延びさせる原点であるあのまちを思い出させるいくつかのものを楽しむことで祝賀したいと考えた。蟹と山葡萄ワインである。
 蟹は毛蟹を食した。北海道の友人が送ってくれたものだ。あのまちで毛蟹を食した記憶がない。タラバガニか花咲蟹であった。タラバは足が二本少ないヤドカリの仲間であるが、この蟹はほとんどが輸出用に缶詰にされ、日常的に食することはなかった。秋に獲れる花咲蟹はこの地域に固有のものではるかに美味であった。この毛蟹も年齢相応に小食になったわたしの胃袋には十分で美味であった。
 山葡萄は秋に山に分け入って採りに出かけたものだ。春には野いちご、秋にははますの実と野山に分け入った。葡萄を一升瓶にいれてつぶしエキスを作った。ネット上で福井産のものを見つけ買い求めた。
 あと何年生きて美味を体感できるのだろうか。

2011年2月16日ーさんまー

 今日はいささか季節外れに見える食材の話である。さんまである。
 「秋刀魚」と当て字されていることから秋の味覚とされる。ところがさんまは回遊魚で、日本列島にそって長い期間をかけて南下する。夏には北海道東海岸に現れ、三陸沖、関東沖を通過するのが秋、紀伊半島沖には冬に現れる。さんまとはいいながら、このあたりまで南下するとすっかり脂が落ち、形状もさらに細身になる。さんま寿司に加工される。さんまは脂がくて寿司ネタにはむかないと考える東日本の人には考えられないことだろう。そういう私も驚いた一人だ。丸干し、ひらき、みりん干しにも加工される。どれも美味であるが、特に寒風にさらしてつくられる丸干しは私の好物である。台湾の友人の話によると、台湾沖でも獲れるらしい。どのような形状になっているのか、一度見たいものだ。
 佐藤春夫(1982-1964)が1922年に発表した詩「秋刀魚の歌」を思い出す(佐藤春夫『春夫詩抄』岩波文庫所収)。この詩は大都会の片隅でひとりさんまを焼き食らう男の孤独を恋心と重ねて歌い上げた絶唱である。この詩は谷崎潤一郎夫人千代へのつのる愛を表現したことで有名だが、この詩に接した学生時代には、私はむしろ都会の秋に滴る脂の煙にむせながらさんまを焼き食らう若い男の孤独感に惹かれたものだった。今読み返してみて、望郷の思いに打たれる。彼は和歌山新宮の出身である。「青き蜜柑の酢をしたたらせて」食するならいを思い、それを自分の落とす涙に重ね合わせて嘆きを表現している。  昨年暮れに郷里の知人からさんまのみりん干しが送られてきた。紀州のみりん干しとは似て非なるものだが、美味である。食しながら郷里を思うことしきりである。

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