2011年3月アーカイブ

2011年3月29日ーあまりに凄惨な(続々)ー

 毎日震災・津波のテレビ映像を見つめている。さまざまなことをお思いだし考え込んでしまう。
 東北はわたしが学び生活した地域であるだけに、多くの友人が住む。彼らの消息も気にかかる。それぞれの地名に思い出がある。当時の光景を思い起こして一層気が滅入る。
 災害はいつも弱者に最も強く襲いかかる。高齢者、寝たきり高齢者、認知症で判断能力がにぶった人々、これらの人が被った苦難は想像を絶するものだったろう。わたしの祖母は81歳で逃げ遅れて焼死した。長年のきびしい暮らしで立つことがかなわなくなっていた。助け遅れたのだ。両親の説明するには、祖母は迫る火の手のなかで、自分を置いて逃げるよう叫び続けたという。しかし助けられなかったという事実は変わらない。やり場のない気分は今も続いているような気がする。あのときの呆然した気分の中で生き続けてきたように思うのだ。
 避難所と称する場所に避難したのではない、そこしかないからそこに逃れたのだ。救援物資不足を声高に報道する。そろそろこのような報道姿勢はやめようではないか。
 あの日テレビに電源を入れた時に最初に写った映像、名取川にそって津波が仙台平野を進む様を上空から写した光景は、2ヶ月が過ぎた今でも思い出して、その下で発生しつつあった数え切れない生死の岐路を思い、私は気が沈む。行方不明者がまだ1万人もあるという。罹災者のほとんどが家族や親族を失い、生活の見通しも立たず、喪失感に呆然としている人たちにいったいどのような形で「共感」を示したらよいのだろうか。
 私はいまだにその手立てを見つけられずにいる。復興だ再生だと騒ぎ回ることよりも、ささやかでも被災者の心情に「共感」を示す行為がもっと必要ではないだろうか。すでに高齢者である私には現地にでかけてボランティアとして活動する力はない。岩手、宮城、福島の友人たちにどのように声をかけたらよいの考えあぐねている。
 それにしても「日本」「日本人」を連発する最近の支援の呼びかけは承伏しかねる。日本人だから支援するのではない。人間としての「共感」からなのだ。世界中どの国の災害支援につても人間的「共感」が出発点でなければならないと思う。
 日本人としての絆を言うなら、原発大災害の責任者たちはその中に加えてほしくないものだ。原発を推進し根拠もないのに「安全だ、安全だ」とだまし続けた政治家、官僚、財界人、御用学者の癒着集団、事故にうろたえ対応に遅れをとった輩、それでもなお情報を隠す輩は到底許されない。
  

2011年3月22日ーあまりに凄惨な(続)ー

 人はこの世に生まれて生活する場所と時代を選び取ることは出来ない。そこで災厄に見舞われた人の数だけ運命の岐路がある。阪神・淡路大震災のときにも燃えさかる長田の火を映し出す映像を見て、前の戦争の空襲の記憶が次々とよみがえってきたものだった。田舎のまちの戦争には空からの映像などなかった。わたしの家もまちもあのように燃えたのだろうと思った。あの火の下には人の数だけ人生の岐路があるのだと慄然とさせられた。それだけにヘリの上からの無神経な実況放送に立腹したものだった。
 今わたしの脳裏をよぎる思いはあの戦争の体験であり、その体験を重ね合わせた罹災した人々への共感である。戦争が人災であることはうまでもない。しかし大都市ならともかく田舎のまちが攻撃されると誰が想像できただろう。軍が密かに進めていた要塞化のをどうして知り得ただろうか。空襲はわたしにとってまさに晴天のへ霹靂であった。米軍艦載機の銃撃や爆弾を逃れたのは運としか言いようがない。家族はちりじりになり、お互いの安否を確認できたのは夜遅くになってからであった。祖母は逃げ遅れて、というよりも助け遅れて無残にも死んだ。焼き場(火葬場)は処理能力を超え、父はやむを得ず我が家の焼け跡で荼毘に付した。
 祖母の骨を拾いに避難先から出かけたとき、高台からみたまちの風景はいまだに忘れられない。町の中心はいくつかの鉄筋建造物の残骸の他は土蔵や耐火金庫が残るのみで見渡す限りの焼けただれた荒野であった。祖母の骨を皆で拾った情景はいまでもわたしの脳裏に焼き付き、家族を突如襲った災厄の記憶はこの歳になっても胸ふさぐ思いを蘇らせる。
 あの映像には罹災した人の数だけ悲しみがあり、生涯ともにせざるをえない体験がすり込まれるのだ。
 石原慎太郎はこの災害は積年にわたってためこまれた日本人の私欲という心の垢を洗い流す好機だという、「天罰」だという。あえて彼に問いたい。なぜ東北の民が、しかも高齢者や病を持つものが罰を受けなければならないのか。罰を受けるべき現代のソドムとゴモラは彼の統治する東京そのものではないのか。戦争を企んだものたちの責任を回避し、災厄を被って苦しんだ民に懺悔を強いた論理と同じではないか。

2011年3月19日ーあまりに凄惨なー

 3月11日午後、診療所で風邪薬を処方してもらっての帰り道、タクシーの運転手が東北で大地震が発生したことを教えてくれた。帰宅後すぐにテレビのスィッチをいれる。名取川河口あたりから遡上ずる津波のライブ映像が映し出された。あの日以来毎日テレビに何時間も対面し起きていることを理解しようとしいる。
 いつかは起こりうる自然災害ではあった。地球が内包するエネルギーの突然の放出を人知によって抑制することなどとうてい不可能なことだ。人類はたかだか地球の表層にへばりついて営みを続けているだけのことで、覇者であるかのようなおごった態度はもう止めようではないか。地球を搾取しつける「地球に優しい」などという表現はもうやめようではないか。地球の発する厳しさを思想に反映させようではないか。愚かな政争に終始するばかりの政治家はほっておいて、真剣に議論を始めようではないか。いろなことが脳裏ををよぎる。災厄に遭遇して命を落とされた方たちには心からの弔意を表したい。

このアーカイブについて

このページには、2011年3月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2011年2月です。

次のアーカイブは2011年6月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。