2011年3月29日ーあまりに凄惨な(続々)ー

 毎日震災・津波のテレビ映像を見つめている。さまざまなことをお思いだし考え込んでしまう。
 東北はわたしが学び生活した地域であるだけに、多くの友人が住む。彼らの消息も気にかかる。それぞれの地名に思い出がある。当時の光景を思い起こして一層気が滅入る。
 災害はいつも弱者に最も強く襲いかかる。高齢者、寝たきり高齢者、認知症で判断能力がにぶった人々、これらの人が被った苦難は想像を絶するものだったろう。わたしの祖母は81歳で逃げ遅れて焼死した。長年のきびしい暮らしで立つことがかなわなくなっていた。助け遅れたのだ。両親の説明するには、祖母は迫る火の手のなかで、自分を置いて逃げるよう叫び続けたという。しかし助けられなかったという事実は変わらない。やり場のない気分は今も続いているような気がする。あのときの呆然した気分の中で生き続けてきたように思うのだ。
 避難所と称する場所に避難したのではない、そこしかないからそこに逃れたのだ。救援物資不足を声高に報道する。そろそろこのような報道姿勢はやめようではないか。

このブログ記事について

このページは、kitanihitoが2011年3月23日 14:57に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「2011年5月17日ー大震災から2ヶ月が過ぎてー」です。

次のブログ記事は「2011年6月5日ー京大病院眼科入院の記録(1)ー」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。