2011年8月7日ー「節電」騒動を嗤(わら)うー

 関西電力が需用者に15パーセントの節電を求めることを決め、着々と実施させているようだ。マスメディアはは毎日天気予報とあわせて電気予報なるものをを発表し、この雰囲気を連日あおり立てている。
 この状況は実に奇妙なことだ。私のような小口の需用者といえども電力会社と契約を結んで電気を買っている筈なのに、節電の要請を直接には受けてはいない。電力料金支払いを滞納すれば当然のように契約を盾にとって送電を止めるのに、いったいこの状況はどういうことだ。
 電力需給に関して電力会社から公表されるデータがはたして正確なものかについて、私どもに検証する手立てはない。しかしいい加減なものと断ぜざるを得ない。たとえば工場やオフィスビルの電力需要が減少する時間帯、日曜祝日の需給関係はどうなっているのか。この時間帯にまで節約の要請する必要があるのか。
 そうじてこの騒動は、原子力発電を延命させるための策動に見える。このまま電力消費を続けたいなら、原発再稼働を認めなさいと言う脅迫ではないのか。その策動に易々とのせられている状況を見せられると、戦時下の体験を想起させられる。「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」のスローガンのもとに節約を強いられ、挙げ句の果ては軍需物資に転用できる金属はすべて収奪された。いまでも教室の一角に積み上げられたつぶされたアルミニウムの弁当箱の山を思い出す。弁当箱はすべて木製のものに変えられ、中身も「贅沢なおかず」がないかを確認し合った。この行動に協力しないものは「非国民」であった。今にして思えばこれは根拠の示されない脅迫であった。しかも収奪された原料で飛行機や弾薬が作られた気配はない。戦争末期の生産設備の状況に加えて、軍需産業企業や軍上層部のサボタージュが
あったと思う。収奪された物資は戦後特定の企業と個人の手元に蓄えられ、彼らの成功の基礎になった。
 現在の節電騒動も、特定の集団の利益を守るという意図を隠して行われている。現体制を維持することで誰の利益が守られるのか。電力企業の企業価値を維持することで株価が安定し、銀行、巨大企業の権益は維持される。経営陣のボーナスも維持される。従業員に与えられているかもしれない特権も維持される。権益をめぐるからくりはそれだけにとどまらないだろう。変革の計画もなしに進められるこの脅しの正体を見抜く必要がある。
 政府と電力会社に強要されなくても、私どもは自発的に節約している。高い電気料にあえいでいるものにとっては、いつも節約を強いられている。地球環境問題に自覚的なひとたちは、さほど効果は期待できなくとも、「クールビズ」を実践してきたのである。変革の展望もなく電力会社の企業価値の維持を実質の目標にした今の節電騒動は笑い飛ばそうではないか。
 そして本当の節約をもたらす構造的な変革について議論を始めようではないか。小手先の節電ではなく、エネルギー効率のよい生産様式、生活様式を模索ししなければならない。とりわけ現在の都市、とりわけ首都圏への管理部門や大学の集中をやめ、都市の田園か田園化をすすめる必要がある。その議論なしには問題は先に進まない。 

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このページは、kitanihitoが2011年6月16日 13:26に書いたブログ記事です。

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