2011年9月8日ー敬服させられた人生の先達ー

 70歳代半ばともなると、残りの人生どのように生きたらよいかについて迷い始める。好奇心を失うことなく思考の柔軟さは維持したい、愚痴っぽく昔話ばかりする高齢者にはなりたくない、少しは先に希望を持って生きたい、あれこれ思うことが多いのに、見習うべき高齢者のモデルなどあり得るはずもなく、またひとりの人間の生活やその内面にいたるまで観察できるはずもない。結局のところ、私の路上や車内での人間観察の性癖は強まるばかりだ。
 最近出会って感心した人たちを二人を紹介しよう。
 週三回リハビリに通う診療所でお会いする女性である。もうすぐ90歳という。驚くことにこのお歳でいつも眼鏡なしで新聞を読んでおられる。凶悪な犯罪記事などには胸が痛み,心臓の鼓動が速まるという。人間的な感動は若い私をはるかにしのぐものだった。聴く力も、私のくぐもった悪声を聴き取れたのだから、若い人たちとも十分い意思疎通が出来る。診療所内で人気があるのもよくわかるというものだ。
 理解する力と新しい経験をなお感受性を支えるに足る体力の維持の意味を考えさせられた。私の眼はすでに老眼鏡なしではものを読めず。視野も狭くなるばかりだ。読書量も急激に落ち込んせいる。私はいくら努力をしてもこの女性のようにはならないだろう。初めから差がつきすぎている。
 
 

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このページは、kitanihitoが2011年9月 4日 10:47に書いたブログ記事です。

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