2011年12月アーカイブ

 正月だの元旦だのという年の替わりについての自覚はまったくなくなってしまった。新年を迎えてすることはというと、カレンダーを掛け替え、新しい日記帳を使い始めるということ以外にははないようだ。
 正月料理についても同じことがいえる。年があらたまる際の祝い膳を準備するという感覚はとっくになくなった。惰性みたいなもので、何となく自分の食べたいものを用意するだけのことになっている。そして、それが出来あがってお酒を飲み始める、その時から実質上の正月がはじまる。今年は12月30日にできあがり、正月はその日の夕方から始まった。
 この数年私の準備する料理は決まっている。棒鱈と海老芋の炊いたもの、それに数の子をだし汁につけたもの、この二品だけだ。どちらも京都の正月料理だが、私には故郷を感じさせる料理なのだ。どちらも食材の品質を間違えなければ、誰にでもつくれる簡単なものだ。
 真鱈は私の郷里ではよく食される冬の魚であった。油の少ない淡泊な白身は美味であった。とはいっても、この魚のほとんどはすきみ鱈として商品化され、私ども貧乏人にはすきみにされない部分が供された。頭の部分や白子(鱈の精巣)、鱈子(卵巣)であった。すきみにされる身の部分よりもこちらの方がうまかった。数の子(鰊の卵巣)も同じで、春の産卵期に接岸する鰊のほとんどは肥料に加工され、本州で販売された。数の子の醤油づけは北海道でも定番であった。
 棒鱈も数の子も北前船のルートで京都まで運ばれたのである。鰊そばの鰊も同じである。真鱈も鰊も乱獲その他の影響で北海道ではとれなくなった。今売られているものは、ほとんどがロシアやノルウェーからのものであろう。それを承知で私は年に一度、これらの食材を自分の好みの味で料理し、それをさかなに酒を飲み、めずらしくも郷里を懐かしむ。

2011年12月29日ー年末祭で考えるー

  私が通う診療所では毎年12月上旬の土曜日に年末祭という催しがある。診療所前の駐車場が会場になる。このあたりは西陣の織り屋が整備されて展示場や喫茶に改装されて、古びた町並みはもうこのあたりにはない。 この祭は医師、職員、患者と家族、介護施設に通う人たち、近隣の住民が交流するための催しとなっている
ようだ。
  京都は地域の医療活動に関わる診療所が多く、特に西陣には多い。それぞれの診療所が趣向をこらして多様な活動をしているのだろう。それを観察するという目的あって数年前から出かけている。実際には、食いしん坊の私の胃袋を満たすために出かけていたのかしれない。市北部の山村の人たちが産米を持参しての餅つきがあり、歳末らしい雰囲気を味わいながらつきたての餅をごちそうになれる。
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 恒例の餅つき、野菜市、学生たちのパフォーマンスに加えて、今年はヨーロッパやアメリカをモチーフにしたゲームや屋台が並び、例年以上に賑わっていた。私にとってはこれまでの異邦人的な立場から少しは親密な雰囲気に浸ることが出来た。この診療所にリハビリに出かけるようになったことで知り合い増えたし、職員のかたとも親しなってお祭りの企画にもいくらかはお手伝いすることができた。人付き合いの下手な私にしては挨拶や会話が多くなった。地域の人々にいくらかは受け入れられるようになったということだろうか。
 それにしても、どうして私はこうも口べたで会話が下手なのか。同世代の人のおしゃべりにタイミングよく加われないのだ。大学教師であったせいだろうか。話をする
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ときいつも言葉と文章を選ぶ回路に入ることがならいとなっているようだ。しかし、学者仲間で話をしているときでも私は話題について別のことを考えて突然とんでもないことを言い出す性癖があった。いまでいう「空気が読めない」というやつだ。それに気がついたとき会話をすることが煩わしくなった。女性たちのスピード感あふれるおしゃべりに聞き惚れ、とてもあのようにはなれないとおもう。脳と口をつなぐ回路が男たちとは違うのではないかとも思う。
 来年の年末祭には少しは会話に加われるように成長したいものだ。

2011年11月8日ー千本釈迦堂、大根だきー

わたしの通う診療所近くにはお寺が多い。明治の廃仏毀釈でかなりの数の寺院が廃れたはずで、それでもこれだけの数があるのだから、江戸期にはこのあたりはお寺ばかりだったと想像する。古代平安京が放棄された後に出来たまちだから、平安貴族が信仰したような由緒のあるお寺はない。その代わりというか、庶民の信仰の場所となった寺が多いようだ。
 千本釈迦堂(正式名称は大報恩寺)は応仁の乱の戦火を被らずに今日まで残った数少ない寺であるが、この寺を有名にしているのは12月17日、18日に行われる「大根だき」とい行事である。大釜で祈祷を受けた大根が炊かれ、訪れる信者に振る舞われる。無病息災、諸病封じの御利益があるとされる。
 一度食してみたいと思いたち、診療所の帰りに覗いてみた。御利益を得たいためではない。「無病息災」というが、わたしの年代で「無病」のひとはほとんどいないだろう。「一病息災」ともいわれる。わたしの場合は「一病」どころか「多病」で直しようがないものばかりだ。「無病」の御利益などわたしのとって意味のないものだ。最近新しい四文字熟語を考えついた。「楽病息災」、病と楽しくつきあって生きようという願いを込めての言葉である。「安病息災」というのも面白いのではないか。
 今の時期、京都の大根は青首大根も聖護院大根も甘くおいしくなる。わたしはその大根を昆布だしをとり薄口醤油で炊く。千本釈迦堂の大根の味はどんなものか、その味を体験したいと思ったからだ。冬の冷たい雨にもかかわらず長蛇の列、代金千円と聞いて驚き、体験を断念した。境内に充満する香りと食している人々の雰囲気を感じ取って早々に退散した。味較べは来年に延期した。
 宗教行事と銘打ってはいるが、元々は貧民への年末炊き出しだったのではないだろうか。そうだとすれば千円は高すぎる。
 昼食の頃合いだったので、大根で間に合わせようと思った思惑も外れてしまった。診療所の近くの食堂に入ってうどんを食した。食堂の女将との会話で、諸病退散が話題になった。あの寺のご住職は中気にあたったそうで、祈祷するご自身には御利益はなかったそうな。住職曰く。皆様の病厄をすべてわたしがうけとりました、と。関西の女性たち、とりわけ京都の女性たちは辛辣だ。しかし地域の庶民信仰を否定しているわけではない。むしろその辛辣な意見も含めて地域への愛情を豊かに表現しているように思われる。

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