2011年11月8日ー千本釈迦堂、大根だきー

わたしの通う診療所近くにはお寺が多い。明治の廃仏毀釈でかなりの数の寺院が廃れたはずで、それでもこれだけの数があるのだから、江戸期にはこのあたりはお寺ばかりだったと想像する。古代平安京が放棄された後に出来たまちだから、平安貴族が信仰したような由緒のあるお寺はない。その代わりというか、庶民の信仰の場所となった寺が多いようだ。
 千本釈迦堂(正式名称は大報恩寺)は応仁の乱の戦火を被らずに今日まで残った数少ない寺であるが、この寺を有名にしているのは12月17日、18日に行われる「大根だき」とい行事である。大釜で祈祷を受けた大根が炊かれ、訪れる信者に振る舞われる。無病息災、諸病封じの御利益があるとされる。
 一度食してみたいと思いたち、診療所の帰りに覗いてみた。御利益を得たいためではない。「無病息災」というが、わたしの年代で「無病」のひとはほとんどいないだろう。「一病息災」ともいわれる。わたしの場合は「一病」どころか「多病」で直しようがないものばかりだ。「無病」の御利益などわたしのとって意味のないものだ。最近新しい四文字熟語を考えついた。「楽病息災」、病と楽しくつきあって生きようという願いを込めての言葉である。「安病息災」というのも面白いのではないか。
 今の時期、京都の大根は青首大根も聖護院大根も甘くおいしくなる。わたしはその大根を昆布だしをとり薄口醤油で炊く。千本釈迦堂の大根の味はどんなものか、その味を体験したいと思ったからだ。冬の冷たい雨にもかかわらず長蛇の列、代金千円と聞いて驚き、体験を断念した。境内に充満する香りと食している人々の雰囲気を感じ取って早々に退散した。味較べは来年に延期した。
 宗教行事と銘打ってはいるが、元々は貧民への年末炊き出しだったのではないだろうか。そうだとすれば千円は高すぎる。
 昼食の頃合いだったので、大根で間に合わせようと思った思惑も外れてしまった。診療所の近くの食堂に入ってうどんを食した。食堂の女将との会話で、諸病退散が話題になった。あの寺のご住職は中気にあたったそうで、祈祷するご自身には御利益はなかったそうな。住職曰く。皆様の病厄をすべてわたしがうけとりました、と。関西の女性たち、とりわけ京都の女性たちは辛辣だ。しかし地域の庶民信仰を否定しているわけではない。むしろその辛辣な意見も含めて地域への愛情を豊かに表現しているように思われる。

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このページは、kitanihitoが2011年12月10日 17:14に書いたブログ記事です。

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