2011年12月31日ー正月料理ならぬ年末年始料理をつくるー

 正月だの元旦だのという年の替わりについての自覚はまったくなくなってしまった。新年を迎えてすることはというと、カレンダーを掛け替え、新しい日記帳を使い始めるということ以外にははないようだ。
 正月料理についても同じことがいえる。年があらたまる際の祝い膳を準備するという感覚はとっくになくなった。惰性みたいなもので、何となく自分の食べたいものを用意するだけのことになっている。そして、それが出来あがってお酒を飲み始める、その時から実質上の正月がはじまる。今年は12月30日にできあがり、正月はその日の夕方から始まった。
 この数年私の準備する料理は決まっている。棒鱈と海老芋の炊いたもの、それに数の子をだし汁につけたもの、この二品だけだ。どちらも京都の正月料理だが、私には故郷を感じさせる料理なのだ。どちらも食材の品質を間違えなければ、誰にでもつくれる簡単なものだ。
 真鱈は私の郷里ではよく食される冬の魚であった。油の少ない淡泊な白身は美味であった。とはいっても、この魚のほとんどはすきみ鱈として商品化され、私ども貧乏人にはすきみにされない部分が供された。頭の部分や白子(鱈の精巣)、鱈子(卵巣)であった。すきみにされる身の部分よりもこちらの方がうまかった。数の子(鰊の卵巣)も同じで、春の産卵期に接岸する鰊のほとんどは肥料に加工され、本州で販売された。数の子の醤油づけは北海道でも定番であった。
 棒鱈も数の子も北前船のルートで京都まで運ばれたのである。鰊そばの鰊も同じである。真鱈も鰊も乱獲その他の影響で北海道ではとれなくなった。今売られているものは、ほとんどがロシアやノルウェーからのものであろう。それを承知で私は年に一度、これらの食材を自分の好みの味で料理し、それをさかなに酒を飲み、めずらしくも郷里を懐かしむ。

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このページは、kitanihitoが2011年12月31日 16:04に書いたブログ記事です。

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