2012年2月アーカイブ

  海図のない船旅に乗り出して、どう生きるかのお手本をさがす日々が続いている。それももっぱら身体的能力に関するものだ。生き抜くためにはどのような体力を維持、補強しなければならないのか、通りを歩く人の歩き方まで気になるこの頃である。
 昨年末、友人が80歳で逝った。転倒して骨折し、それが引き金になって持病が悪化したためであった。骨がもろくなっていたのだという。骨粗鬆症は女性に特有の病だと思っていたのに、男性にもあると知って少々不安になった。ネットで調べてみると、発症する人の20パーセントは男性という。決して低い数字ではない。
 そういうこともあって、先日かかりつけの病院で骨密度を調べてもらった。簡単なレントゲン検査で、すぐに検査結果が出た。おそるおそる覗いた検査結果は私を突然有頂天似させる内容だった。あまりの数字の良さに個人情報を公開したくなった。長く生きてきたこんなよい数字を頂いたのははじめてのことだ。
 同年齢の平均に対して154パーセント、若年成人に対して130パーセントで、正常値が若年成人の80パーセント、骨粗鬆症は若年成人の70パーセントというから、骨密度が低い方にいくらか譲ってもよいくらいのデータである。
 主治医に聞いてみた。これはこどもの頃にカルシウムを十分摂取していたからでしょうね。いやそうではないでしょ。親から頂いた体質でしょう。いくらカルシウムを摂取しても骨にならなければ意味がありませんからね。
 私は子どもの頃の食生活の影響だと考えたいのである。毎日魚肉ばかり食していた。獣肉や卵を食する家庭がうらやましかった。鰊が獲れる春には鰊ばかり食べさせられた。鰊の小骨がのどに刺さり、取るのに苦労した。学校から帰ると鰊のつみれを作るのにすり鉢とすりこぎが待っていた。手抜きをすると小骨が残っり、のどに刺さったものだ。あの頃のいやだった食事にも感謝しなければならない。
 骨が若者以上とといったら、長生きしますよと多くの人にからかわれた。そうかもしれない。足腰をもう少し鍛えれば、体力としては問題ないだろう。しかし一番気がかりなのは、頭なんだけけれどね。  

2012年2月14日ー76歳の誕生日を迎えてー

  先日76歳の誕生日をかってない喜びに満たされて迎えた。この年齢をこの知力と感性で、この体力で生きられるというのはうれしいことではないか。
 誕生日を迎えること、歳を重ねることは、青年時代には待ち遠しいことであった。早く成人して選挙権その他の権利を得たかった。知的に成熟した人々は憧れの対象であった。自分はあの水準に到達できるだろうかと不安になった。
 父が死んだ年齢を超えたとき、うれしさがあった。しかしこの頃からであろうか、老いに向かい死に近づくことに不安を感じ始めた。誕生日に自分の年齢を数えることは喜びとはいえなかった。
 いつ死んでもおかしくない年齢になっているのだが、それだけに今充実して生きていることが、たまらなくうれしいのだ。海図のない船出のようなものでいつ座礁するか、いつ氷山に衝突して転覆するかわからない。しかしそれも受け入れられるような気がするのだ。
  二、三日前昨年秋から計画していたウェブサイト完成のめどがついた。昨年は体調を崩してもう自分もお終いかと考えていただけに、考えて書く場所が整えられたことは、あらためて生きる意欲を高めてくれる。 

2012年2月8日ー千本通の由来ー

   先日古書店で買い求めた井上頼寿著『改訂京都民俗志』(東洋文庫129,1968年、平凡社)の中に千本通の由来について新しい発見をした。北野の松林が名前の由来という。関係する箇所を引用しておこう。
 「天慶9年3月、近江比良の禰宜に託宣があり、北野に一夜にして千本の松が生じた。そこへ社を建てたのが上京区北野天満宮の起こりといい、千本通りの名も生じたと伝える。」(136ページ)
 卒塔婆が千本という由来は気味が悪い、古代平安京朱雀大路の並木のの残影と考えるほうが美しい通りを印象ずけるように私には思われたのだが、これは証拠のない私のまったくの想像の所産である。井上氏の紹介するこの伝承のほうが納得的で、気持ちをすがすがしくさせてくれる。
 千本通の西に平行して七本松通がある。この通りは豊臣秀吉が京の区割りを整備したときに新たに作ったものだが、この名前は七つに枝分かれした巨木に由来するという。このことからも明らかなように、秀吉の時代には、千本通のあたりまでおそらく北野の松林の名残があったのだろう。井上頼寿の著書にはそれ以外にも北野の松林に関する伝承が紹介されている。ただこの伝承は、歴史事典等の北野の縁起を紹介する項目には載せられていない。
 いま天満宮の境内を歩いてみると、往時の松林の面影はまったくない。天満宮の造営、御土居の構築、上七軒その他の拡張によってほとんどが切り払われたに違いない。唯一当時を偲ばせるのは、井上氏が紹介する影向松である。この松は天満宮正面の最初の鳥居をくぐってすぐ右手にご神木として保全されている。もっともこの木は当時からのものではなく、あとで植え替えられたもののようだ。
 先日市バスに乗り合わせた修学旅行生の会話が耳に入ってきた。バスが千本通にはいって彼らのいうには、「千本通り、木が千本あるということかな」。まさにその通り。

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