2012年2月8日ー千本通の由来ー

   先日古書店で買い求めた井上頼寿著『改訂京都民俗志』(東洋文庫129,1968年、平凡社)の中に千本通の由来について新しい発見をした。北野の松林が名前の由来という。関係する箇所を引用しておこう。
 「天慶9年3月、近江比良の禰宜に託宣があり、北野に一夜にして千本の松が生じた。そこへ社を建てたのが上京区北野天満宮の起こりといい、千本通りの名も生じたと伝える。」(136ページ)
 卒塔婆が千本という由来は気味が悪い、古代平安京朱雀大路の並木のの残影と考えるほうが美しい通りを印象ずけるように私には思われたのだが、これは証拠のない私のまったくの想像の所産である。井上氏の紹介するこの伝承のほうが納得的で、気持ちをすがすがしくさせてくれる。
 千本通の西に平行して七本松通がある。この通りは豊臣秀吉が京の区割りを整備したときに新たに作ったものだが、この名前は七つに枝分かれした巨木に由来するという。このことからも明らかなように、秀吉の時代には、千本通のあたりまでおそらく北野の松林の名残があったのだろう。井上頼寿の著書にはそれ以外にも北野の松林に関する伝承が紹介されている。ただこの伝承は、歴史事典等の北野の縁起を紹介する項目には載せられていない。
 いま天満宮の境内を歩いてみると、往時の松林の面影はまったくない。天満宮の造営、御土居の構築、上七軒その他の拡張によってほとんどが切り払われたに違いない。唯一当時を偲ばせるのは、井上氏が紹介する影向松である。この松は天満宮正面の最初の鳥居をくぐってすぐ右手にご神木として保全されている。もっともこの木は当時からのものではなく、あとで植え替えられたもののようだ。
 先日市バスに乗り合わせた修学旅行生の会話が耳に入ってきた。バスが千本通にはいって彼らのいうには、「千本通り、木が千本あるということかな」。まさにその通り。

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このページは、kitanihitoが2012年2月 9日 18:05に書いたブログ記事です。

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