2012年4月8日ースリランカと私ー

 一昨日、名古屋市の名城大学に招請研究員として1年ほど滞在していたスリヤラタさん(スリ・ジャエダネプラ大学上級講師)がスリランカに近く帰国されるので、京都に挨拶に来られた。彼女は以前に、私が名古屋を去るのと相前後して前後して来日し、名城大学大学院でPh.D(課程博士)をとられた。私は彼女の来日のお手伝いをしたこともあり、いまでもこのように挨拶があるのはうれしいことだ。
 彼女以外にも私は10人をこえるスリランカの若い研究者のPh.D取得のお手伝いをした。20年ぐらい前になるだろうか、文部科学省奨学生で来日したウィラシンハさんの学位取得を支援したのがことの始まりであった。彼はいまは大学教師のキャリアを中断して、National Institute of Business and Managementのdirector generalとして活躍している。
PICT0010.JPG
 この国については、私はセイロン・ティーの国という以外まったく知識を持ち合わせていなかった。南アジア地域については学問的な関心はまったくなかったといってよい。この国の若い研究者の指導を次々と依頼してくるウィラシンハさんの熱意にほだされて、私の大学教師としての最後の仕事のほとんどはこの国を含む小国出身の大学院留学生の支援に費やされることになった。私は大学教師としては無能で、あまりよい仕事を残せなかったのだが、この最後の十数年の仕事には満足しているし、いまだに私の財産である。
 大学は学ぶ意欲のあるものに国籍を問わず最大限の自由と支援を与える場所でなければならない。ところが日本の大学の支援体制ときたら話にならないお粗末さだ。私はドイツにDAAD留学生として、アレクサンダー・フォン・フンボルト財団のフェローとして何度かお世話になった。支援の組織、帰国後のサービスも非常に快適で、この国での教育と研究の地位の高さを体験できた。日本の場合は外国人研究者の受入れはお世話をする教授たちにかなりの負担となる。その実態は今でも私が苦労した頃とあまりかわってはいないだろう。
 小国の大学の水準を高めるための支援が重要だと思う。Ph.Dの学位を出せない国も沢山ある。大学がない国もある。スリランカは国の規模に比較して多数の国立大学があり、教育熱心な国である。しかしまだ修士の学位を出せる水準でPh.Dを取ろうとするとどうしても外国の大学に進学しなければならない。そのためにはお金がかかる。また外国で学位をとると、帰国しない研究者が増え、国の教育や研究の水準を高めることにならないという状況も生まれてくる。私が小国の若い研究者の受け入れに努力したのも、いくらかでもこれらの国々の水準の向上に寄与したいと考えたからであった。
 ODA等で道路や橋をつくるよりも、今以上に若い研究者を招請する制度を作るべきだ、現地大学への支援を増やすべきだ。そうすれば、日本の大学の国際的評価も高まる。
PICT0013.JPG

このブログ記事について

このページは、kitanihitoが2012年4月 8日 10:23に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「2012年4月2日ー上七軒、北野をどりよ永遠なれー」です。

次のブログ記事は「2012年4月12日ー使い込まれた道具の美しさー」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。