2012年5月27日ー過疎のまちに旅してー

 紀伊半島のこのまちには30数年来小さな庵(いおり)をしつらえ、年に数回は出かけている。庵とはいいながらプレハブである。粗末な作りとまわりの草深い雰囲気からそのように表現してもよいだろう。
 先週も久しぶりででかけた。ところがおいてあるコンピュータが動かず、メールも文章も書けず、3日間ぼんやりとして暮らし退散した。コンピュータが故障すると手足を失ったも同然で、思考もにぶってしまうのだから、始末が悪い。
 それにしてもこのまちの過疎と高齢化は急速に進んでいる。人口の尾イー区は1960年(昭和35年)で訳3万400人、」それ以降は減少するばかりで今年5月現在で2万400人、来年はおそらく2万人を割り込むだろう。高齢化率(人口に占める65歳以上人口の比率)は1995年(平成7年)には22.4パーセントであったものが、2011年(平成23年)には35.7パーセント、3分の1以上が高齢者で占められている。私が時々住まわせて頂いている集落では、2005年には人口が786人、高齢化率は46.9パーセントであったものが2011年にはそれぞれ664人、53.9パーセントになっている。
 集落をあるいても住民に滅多に合わないのは理解できることだ。過疎化とか限界集落を通り越して消滅に向かっているとしか表現しようがない。それなのに変化が進んでいる。私の家の向かいに特別養護老人ホームが登場した。自然災害のたびに老人ホームの被害が報じられるが、土地が安いところに立地するからである。いきおい災害に遭う確率が高くなる。それに道路建設、民主党政権が登場した頃は公共工事にストップがかかったが、いまでは方々で再開されている。過疎地をや消滅しかかっている集落をつなぐ道路である。道路が出来れば過疎化と高齢化はさらに進む。そんなことはお構いなしに道路建設は進む。後は野となれ山となれと言うことか。
 旅人として時々やってくるよそ者には批判されたくないだろうから、私はあえて地名を示さないことにする。

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このページは、kitanihitoが2012年5月27日 12:35に書いたブログ記事です。

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