2012年12月アーカイブ

2012年12月31日ー棒鱈ー

  この10年あまり、私の作る正月料理、正確には年末年始料理は2品と決まってしまったようだ。なぜ年末年始料理なのか。出来上がったらその日から新年の扱いになり、出来た2品を肴に一杯やり始めるからだ。今年は昨日出来上がり、正月気分と相成った。
 その2品とはどちらも到底料理とはいえない単純なものだが、それにこだわることについては私なりの理屈がある。一つは棒鱈(ぼうだら)と海老いもを薄味で炊きあげたものだ。この料理は京都に来て初めて知った。北の国、おそらくは北海道産とおぼしき鱈の開きと京都独自のいもという、不思議な組み合わせの料理である。
 いつころからの料理かは知らない。北前船で運ばれてきたこの淡泊な食材は、その淡泊さの故に味がある。鱈は郷里でさんざん食したが、これほどうまいものであったとは、毎年食しても飽きが来ない。
 考えてみれば、狩猟の民であった縄文人が食した食材と農耕の民であったあった弥生人のいも文化が組み合わされたのである。祖父は佐渡、祖母は能登の出身で、母は越後の出身であったから、私は根っからの縄文人であると自負している。自分の出身地を忘れないためにも私はこの料理にこだわり続けているのだが、同時に縄文人の保存食がこのように弥生人の都で食されていることに象徴的な意味を感じてもいる。考えてみれば、私の伴侶は典型的弥生人である。本来合わないように見える食材が合わされているこの料理は私ども二人を象徴しているのかもしれない。
 もう一品は数の子をだし汁に浸けただけのものだ。これについてもいろいろ書きたいのだが、別の機会に譲りたい。これも北の国に対する私のこだわりを示すものではあるのだが。

2012年12月30日ー正月準備ー

  正月準備として習俗に倣い家の内外を飾ることをしたことはない。自慢することではないのだが、大学に入って郷里を離れたので、やり方を親たちから受け継ぐ機会も時間もなかった。私の生まれた北の国と今住んでいる京都では習俗はまったく違う。京都出身の伴侶の方式でやるのもいささか面倒くさく、そのようなことは何もしないことにしている。
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 新しい年を迎えるためにしなければならないことは実に多い。カレンダーの準備と取り替え、新しい年の日記帳と手帳の準備、年賀状のデザインと印刷、外国の友人への挨拶、そして年末年始の料理、等々。この多忙さも理由になるだろうか。
 先日、診療所の2階で105歳になるNさんが、新年を迎えるために花を活けていた。100歳を超えてなお習俗にならって生きる姿に感動した。彼女を撮して、私の無精な生き方を免罪し
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てもらえはしまいかとふと思いつき、この雑録に記録することにした。
 札幌に最初に来たのは中学2年生の時だったろうか。南一条西4丁目、ここは札幌の繁華街の中心であった。田舎の小さなまちからやってきた少年にとって、ここは都会そのものであった。百貨店にも驚かされたが、南東角にあった富貴堂という書店にはいって棚にぎっしりとつまった書物に圧倒され、書店と言われるほどの店もないまちに住んでいることにコンプレックスを感じた。郷里を離れて札幌の高等学校で勉強したいと真剣に考えたのもこの衝撃が原因の一つであったかもしれない。家の経済状態からいって私の希望は実現するはずもなく、私の提案は親たちに一蹴された。郷里を離れたいという強い願望はこのときに芽生えたのだろう。
 その後何度もこの場所にたった。父が末期の胃癌を札幌医科大学付属病院で切除したときも、この場所から西に向かう市電の乗り換えて見舞いに出かけた。大学院に入ったばかりの時だった。執刀医から余命1年あまりと宣告されて暗澹たる気持ちになった。親の意向を振り切って大学院に進学したのに、家族の事情のために断念するとは、無念としか言いようがなかった。結局私は私は選んだ道を捨てきれずずるずると今日に至っている。この場所に立つとあのときの絶望にも近い心情を思い起こし、その後の私の人生の葛藤を思い出して胸締め付けられる。
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 札幌に来るといつもこの場所に立つことにしている。ここから南に下がって狸小路を過ぎて薄野あたりを徘徊したこともあった。12月20日、久しぶりにこの場所に向かった。数年前には確かにあった富貴堂が消えて、パルコになっていた。暗澹たる気持ちを抱いて病院に通った市電は西側だけが残されてまだ健在だった。富貴堂の筋向かいにあったクラッシク音楽LPを売っていた玉光堂も店は小さくなったけれども残ってはいるが、ここも消滅間近という感じ
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がした。南に薄野方面に下がったところにあった古本屋ももうなくなっていた。古書店の店主は私をアイヌと勘違いして応対したこともあった。髭面の男が先住民関係の書物を探していたのだからこの間違いも当然であった。
 70歳を超えて生きれば、まちの変貌に感傷的になることも当然と言えば当然である。しかしその変貌ぶりはそのまちがもつ歴史性を抹殺し過ぎてはいないか。本州の都市にも同じ傾向があるのだが、札幌ではその傾向がもっと強いのではないか。このまちで、かって半世紀以上前に見たものを発見することは至難の業である。

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