2013年1月アーカイブ

2013年1月3日ー濁酒(どぶろく)に挑戦ー

 昨年末の甘酒造り狂い以来、米麹の神秘に魅せられている。関西の酒蔵を見学して酒を飲みまくった時代もあった。その頃は酒を飲むことにばかり関心がいって、麹室を見せて頂いてもいつも説明を聞き流していたものだ。その私が今では甘酒作りから濁酒(どぶろく)造りに手を伸ばそうとしている。
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 私の濁酒に関するイメージは、学生時代の寮のコンパ(飲み会)に発する。コンパの幹事は在日コリアンの集落で濁酒を仕入れる。密造酒である。この国の酒税法では税源を確保
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するために密造酒の販売を徹底的に取り締まった。国税庁の係官が「密造所を襲撃し、甕(かめ)をたたき壊したというニュースがたびたび報じられる時代だった。密造酒を売る行為は明らかに違法なのだが、それらの取締には政治的な意図もあったように思えてならない。密造酒を買う行為も違法であったかどうかは知らない。当時の学生にとっては安く付き、しかも美味だった。
 不思議なことにこの朝鮮半島風濁酒の味の記憶がない。1989年、ソウル・オリンピックの翌年に韓国に調査旅行に出かけたとき、ソウルの比較的高級な酒場で飲んだことがある。酔いの回りが早かった記憶があるだけで、味は思い出せない。
 山岡酒店さんで米麹を買い、アドバイスしてもらって仕込んでみた。はたしてどのような味のものが出来るか、それとも大失敗に終わるか、結果が出るのを待っている。冬は濁酒を造るのには適さない。発酵を促進する室温にならないからだ。居間のストーブのそばに置いてひたすら待つのみである。

2013年1月2日ー蟹ー

 先月札幌で買い求めた毛蟹が年末に到着、大晦日の食卓に並んだ。北国育ちで蟹のさばき方をある程度知っている私はいつもさばき役で、貴重な命を頂くのだからあまさずさばき、相手は食しやすい形状にして皿に並べる。
 北海道で話を聞くと、蟹は年々漁獲量が少なくなり、店頭に並ぶ蟹はどの国が捕獲したものか、正式の輸入手続きを経て入ってきたものか、怪しいものが多いという。蟹は奇妙な世界市場商品という性格を背負って店頭に
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並んでいるのだ。その苦悩のためか、甲羅の表情も厳しいもののに見えてくる。
 生活にゆとりが出来ると、ひとは蟹をはじめとする甲殻類を愛好するようになる。この国でもそうだ。冬になると蟹を求める自称食通が急増する。これで
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は捕獲される蟹はたまったものではない。近海の蟹は取り尽くされ、当然の結果として国籍の怪しい蟹が出回ることになる。どこで捕獲され、どのように取引されて自分の味覚を満足させてくれたかなどほとんどの人は関心を持たない。
 蟹はもともとアメリカそのたの先進諸国の富裕な人々向けの缶詰原料として捕獲されていた。私の郷里にも戦前には缶詰工場が林立していた。日魯の工場が一番大きかったと思う。戦後もまだ操業している工場が残っていたが、今はもうない。缶詰を製造する企業は今はどこに立地しているのだろう。
 海岸に住んでいた私の家族はこれらの缶詰工場のおこぼれに預かり、蟹を食していた。タラバガニを缶詰にする場合、使うのは脚だけで、甲羅の部分は廃棄される。篭やバケツをもって甲羅をもらいにいったものだった。蟹はこの部分が一番美味しい。脚の付け根の肉と蟹味噌を十二分に味わえた。私は蟹の世界市場商品化のおかげで、蟹をたらふく食したことになる。
 労働力が不足する北の国では多数の季節労働者が過酷な労働条件で働かされた。その一端は小林多喜二の名作『蟹工船』に読み取ることが出来る。私の郷里では、東北からの季節女工が中心であった。いま国後、択捉で捕獲され、私ども口に入る蟹は、北朝鮮出身の労働者の労働成果なのかもしれない。
 蟹に止まらずあらゆる輸入食品には、それが先進国住民の口に入れるまでのあらゆる関係が背負わされている。食するときその生命を貪欲な人間に供した蟹に感謝するだけでなく、背負わされている重しにも思いを致すべきだろう。
 私どもは感謝して食した。その分だけ美味が増したように思った。

2013年1月1日ー日記ー

 
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  年が改まって新しい日記帳を開く。これが私にとって新年を迎える最も重要な区切りである。
 日記を書き始めたのはいつからだろうか。おそらく中学生の頃からだと思う。当用日記、自由日記、大学ノート、手帳等に時々の中断はあるものの手元にすべて残されている。そろそろいつ死を迎えてもいいように準備を進めているが、その準備の中で一番の難物は集積された日記である。手書き原稿の類いはすでに公表したものについてはすべて破却した。書簡類も一部を除いてすべて捨てた。研究のための膨大なノートもかなり捨てた。日記は自分の分身のような気がして捨てがたい。どうしたものだろうか。
 日記に盛り沢山でいろんなことを書きたいという時代は体力的に終わってしまった。今は備忘録でしかない。しかもこの字の汚さはどうだ。書いた自分も判読不能である。昨年来の発病で手首の動きが緩慢になったことも影響しているのだろう。とすると、日記を書くのは一種のリハビリでもある。かっては大型のノートや自由日記を使っていたが、今は旅にも持参できるように小型の当用日記を使っている。永井荷風の日記『断腸亭日乗』を読むと、彼をもってしても晩年の日記は備忘録の水準になっているのだから、私が書けなくなるのは当たり前だろう。
  しかも、考えをていることを書き込むには一日分のスペースはあまりに小さい。そこで思いついたのがブログという表現手段である。これは荷風の時代にはなかったものだ。書きたいことを枠を超えていくらでも書ける。ただ、荷風が日記を政治的検閲や押収によって自分に不利になることを恐れて自己規制した。現実政治に関する議論には加わらないことにしている。理由は簡単だ。起こりうべき批判や誹謗に対して対抗できる気力も支援者もないからだ。
 以上のようなことで「北人(きたにひと)雑録」「北仁人のたわ言」としてブログ上に公表することにした。ブログは私の日常を映す日記なのだ。読んでくれる人がいなくても書き続けるつもりだ。誤字脱字が多いのは申し訳ない。手書きの日記の延長なのだからご容赦願いたい。

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