2013年8月アーカイブ

 朝目覚めてから午前6時にはじまるNHKの番組「クラシック倶楽部」を聴くことから私の一日が始まる。その日の演奏者、曲目をみて、寝覚めの雰囲気に合わないもの、その日の仕事の予定に合わないものの場合にはスイッチを切る。
 朝からクラシック音楽を聴いてるなんて、クラシック一辺倒と誤解されるかもしれない。演歌、ジャズなんでも好きだが、朝から平安をかき乱す音楽を聴くことは考えられないだろう。 私がクラシック音楽を特に愛好するのは、自分の生のさまざまな側面をそこに投影させられるからでもある。数日前の「クラシック倶楽部」でたまたま長岡純子のピアノリサイタルの録画を観た。ベートーヴェンの大曲、ワルトシュタインを弾いた。 かなりの年齢の方とお見受けしたが、大曲を弾く手指の力はもはや衰えを隠せず、壮者の演奏には比べようもなかった。番組が終わったとき、私は不思議な感動におそわれていた。とても入場券を取って聴いてもらえるリサイタルの水準ではないが、同年代の演奏者が持てる体力を使い切ったその達成感を共有できた感じがした。
 午後、ふと思い立って前日に録画してあったマウリツィオ・ポリーニをソリストに迎えたクリスティアン・ティーレマン指揮によるシュターツカペレ・ドレスデンによるヨハネス・ブラームスのピアノ協奏曲第2番を聴いた。同じ時代を生き、同じ時代の感性を表現する演奏者として、ポリーニの完璧に響く演奏に共鳴しながらこれまで生きてきた。
 ステージに登場する83歳の彼の足取りは、私同様にもはや若々しさは失せていた。しかし演奏には感動した。かって感じたような完璧さにかわって演奏に陰影感が感じ取られた。その雰囲気はブラームスの持つ北方人らしい陰影感を通して示される艶やかさにぴったりのように感じた。歳を重ねるとは枯れるとか、枯淡の境地に入るとか表現されることが多い。つややかな表現力が失われたら演奏者はおしまいだ。ポリーニの歳を重ねて得た感性の表現に思わずテレビ画面にむかって拍手を送りたくなった。同じ時代の空気を吸って生きてきた演奏者とともに歳を重ねられるとは、何という喜びであろうか。
 ひるがえって自分自身のことを考える。枯淡の境地とか枯れたなどと見られるのは御免こうむりたい。ドンキホーテと評されてもよい。私の学問ぶりにに少しでもいいから生気や活力を感じるとの評価を得たいものだ。

【付記】この日記を書いてから長岡純子さんについて調べてみた。昨年末82歳でなくなられたという。私が見たのは2010年12月12日のリサイタルの録画であったというから、当時80歳であった。

このアーカイブについて

このページには、2013年8月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2013年5月です。

次のアーカイブは2013年11月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。