2014年1月アーカイブ

   
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一週間ほど前の散歩の記録。診療所の帰り道、北野天満宮に足をのばした。梅のつぼみは色好きはじめてはいたが、まだ満開の時の彩りを想像できるほどにはなっていなかった。センター入試の前日なので受験生の参拝が多いのかなかと思って出かけたが、意外に少なかった。梅が開花する頃にもなると、観梅目的の参詣者だけでなく受験関係者の参詣も増える。天神さんの春のこの風景はまだ始まってはいなかったが、それを当て込んで新調したのか、社務所の「価格表」だけがやけに大きく目立っていた。
 御利益もお金次第ということか。4っつほど願い事があった私もこの価格表を見て
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少々心変わりして、お賽銭を4倍に奮発した。後日地元の人に聴くと、北野の天神さんは学びごと以外は御利益がないようで、太宰府の天満宮のほうがいいのだそうな。私の投じた賽銭はあまり役に立たなかったのかもしれない。太宰府に住む弟にでも頼むとするか。
 絵馬の奉納所を覗く。1枚500円で絵馬を買い、願い事(大抵は志望校への合格祈願)を書いて奉納するのだが、記入所で書いている人は見たところ受験生本人ではなく父兄たちのようで、天神さんの御利益にすがるのも親頼みということか。受験生本人が来なければ
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御利益もないのではないだろうか。掛けられた絵馬は3月末に焼却される。学びはその過程が重要なのだから、結果が出るぎりぎりの時に祈祷しお願いしてもあまり意味がない。4月のはじめに本人が来て絵馬を奉納する。天神様にお願いするのなら、これが一番有効なやり方ではないだろうか。
 診療所に通っていると、天神さんの梅がほころび始めたというニュースはすぐに広まる。西陣に住む人びとの天神さんへの愛着が感じられる時である。その頃にまた散歩にいこう。上七軒のどこかで食事をして、梅を愛でることにしよう。
(2014年1月25日ーそういえば今日は初天神だったー)
 1960年に発表された新藤兼人監督『裸の島』のロケ地となった瀬戸内の無人島、宿禰島が競売にかけられる事になったこと、この島をモニュメントとして残すために有志が募金を呼びかけこの競売に参加しようとしていることをネット上で知った。この名画の記憶がこのような形で歴史に残ることはうれしいことだ。少額だが賛同することにした。
 水のない無人島に営々と水を運び入れ、運び上げて耕す家族の物語が瀬戸内の陽光のなかで進む。殿山泰司、乙羽信子、二人の子役、その出演者のすばらしかったが、私は乙羽信子の美しさに惹かれた。林光の音楽もすばらしかった。
 こんな貧しさがあるのかと疑ったりもした。ある自民党の政治家がこの映画を国辱ものと評したが、当時の私は作家の表現の自由に対する低次元の介入だと思っていた。当時の私は作家の意図を理解できていないという点では、この政治家と基本的なところでは一緒だった。
 新藤兼人の意図を私なりに理解できたと思えるようになったのは、学者としていくらかは成熟できたという時期になってからだった。彼が表現したのは、人間に内在的な、あるいは本源的といってもよい労働と家族愛ではなかったのか。このことに気づかされたのは、社会科学を人間科学として、人間に本来的な労働を基礎にして再構築しようと考え始めていた頃ではなったか(私の考え方の基本については『私の学問と民主主義』第3章を参照してほしい)。
 そのように考えてみると、新藤兼人の映像、出演者たちの表情、林光の音楽は一層光り輝く。新藤兼人はこの風景を2011年に発表した遺作『一枚のハガキ』のラストシーンで主人公たちに演じさせた。生産性や効率とは関わりない、ときには無償の行為として示される労働はかくも美しいのだ。
 それにしても、瀬戸内に名作のモニュメントが誕生することはうれしいことだ。小豆島、尾道、そして宿禰島.。一度訪ねてみたい。(2014.1.7)

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