2014年3月アーカイブ

六角農場の柳

 私は食材の買い出しを兼ねて散歩に出かける。油揚げ1枚、お豆腐1丁でもおいしいと聞けば出かけることにしている。効率のよくない暮らし方だが、散歩の回数は確実に増える。買い物をした後、気に入った喫茶店でコーヒーを飲みながら小一時間ほどのんびりと過ごす。この一続きの散歩の最後の時間が何ともいえず楽しく、気持ちを落ち着かせる。
 最近散歩のコースが増えた。烏丸通りから六角通りを東に入って一筋目の東洞院通りを上がってすぐ、東側に八百一本館というショッピングセンターがある。ここの一階奥のお総菜売り場でおかず等を買う。それから3階に上がる。ここにはこの店のシンボルともいうべき屋上農場がある。その一角にあるレストラン・セイヴォリーで農場の野菜の生育ぶりや従業員の働く姿を眺められる窓際の席に座り、コーヒーを飲みながら眺めを楽しんでいる。この農場の隅に柳の若木が植えられている。元の親木から株を頂いてさしたものだそうだ。この木の成長も気になるところだ。先日ようやく新芽が出て小さな葉が開いた。うまくついたようだ。いつ葉が開くのかとやきもきしていただけに、うれしいことだ。
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 親の樹は、すぐ近くの六角堂、正確には紫雲山頂法寺本堂前にある柳の古木である。六角堂の親はもう葉が茂り始めていた。寺のホームページによると、学名はロッカクドウ、通称六角柳、伝承により縁結びの柳と呼ばれている。葉の形が通常の柳よりも小さく、地面すれすれにまで枝が伸びている。さすが華道家元の寺だけあって、固有種である。縁結びということもあって沢山のおみくじが結びつけられている。
 この國では名木、古木はたいていの場合信仰
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の対象とされ、日常の中に育つことはあまりなかった。この農場に分けられたこの株は信心とは関係なく育ってほしいと思う。私はこの樹の下で憩うことをいつも夢見ている。どんな心地よい香り風、そして木漏れ日をもたらしてくれるのだろうか、願わくば成長したこの柳の下で憩いたいものだ。元気であれば、その下に好みの椅子を置いて本を読みたいものだ。それが実現するはずもないことは承知している。だが、そのように想像するだけでも心地よいことではないか。
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(2014.3.22)
  3.11がまた巡ってきた。3年前のあの頃私は全身がほとんど動かなくなり、暗澹たる気持ちで生きていた。診療所から自宅に帰るタクシーのなかで東北を大地震と津波が襲ったことを運転手から知らされた。家に帰ると、居間のテレビは名取川沿いに仙台平野を遡上する津波を映し出していた。いつもの災害報道と同じように、ヘリから撮影される映像は延々と続けられ、その下には生と死の狭間での格闘が繰り広げられていることなどお構いなしに田園地帯を生きているもののように突き進む波頭を無機質に映し出していた。
 打ちのめされ、落ち込んだ。しかも先の見えない体調に不安を感じていた私には、あまりに残酷な情景だった。東北が強いられてきた忍従の歴史を思い、なぜよりによってあの東北がこのような災厄に見舞われなければならないのか、気持ちは暗くなるばかりであった。天災に打ち克つ技術などありうるはずがない。無制約の工業的発展と都市化がいずれ天災によって甚大な打撃を被る時代が到来することは十分に予想できたのだが、打撃を被ったのは東京ではなく、そこに電力を供給する役割を担わされていた東北であったとは。東北に寄せる私のこの同情はいまも変わらない。ますます強まってくるのだ。
 あれから3年が経過した。私の体調もなんとか以前に近い水準に回復し、私の落ち込んだ気持ちもいまでは少しずつではあるが普通の人間らしい憤激の感情に変わりつつある。
 東北大災厄はこの國全体のの悲劇として捉えられ、その復興は何を差しおいても取り組むべき国民的課題として受け止められるべきものではなかったのだろうか。「復興」の名の下でいったいどのような公共事業が展開されているのか、それが果たして被災住民に寄り添ったものになっているのか、検証されていつも国民に提示されなければならない。メディアが時々伝える情報によるとその「復興」なるもののずさんさも遅れも著しいという。私どもが税の一部をそのために支払っているのだから、現状の説明を受ける権利があると思う。
 原発災害の現状についての正確な情報が国民に常に提供されていないのはどういうことか。その深刻さについては、国民に正確な情報が適時伝えられているとは到底思われない。国内のメディアよりも外国メディアのほうが正確に伝えているように思えてならない。これでは政府と東京電力による意図的な情報統制といわれても仕方がないだろう。
 原発災害の解決と東北の復興を目指す政策が最優先で実行されなければならないのに、国を挙げてオリンピック開催に走り出している。総理大臣が「アンダーコントロール」と国際世論に対して大嘘をついて走り出したオリンピックが東北に与える影響はすでに見え始めている。限られた建設労働者と資源がオリンピック準備に集中されれば、「復興」がさらに遅れることは目に見えている。それだけではない。オリンピックは首都東京の老朽化を遅らせ、地方との格差はますます拡大する。聖火を東北を重点にリレーするなどという欺瞞を許してはならない。
 福島の原発災害によってエネルギーの無制約の浪費を基礎にした経済と社会のあり方が問われたのに、いつのもにかそれがエネルギー政策の問題にすり替えられてしまい、電力供給を安定させるためには原発の再開・増設はやむなしとする主張を勢いづかせることになった。認めなければ電力料金を上げると脅しにも似た主張さえ展開される。この脅しに屈するなら、いったい福島の民の犠牲は何のために払われたものだったのか。
 東北が払わされた犠牲を思い、この國の将来をねばり強く議論し、声を上げよう。3.11をただの追悼の日に終わらせてはならない。(2014.3.15)

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