仕事場は使い込まれて美しいー2014年4月25日の千本・西陣散策(1)ー

 散策をどこから再開しようかと考えていた時に、診療所でPさんと知り合った。家の仕事場で帯の裏地を織っているという。無理を言って仕事場を見せてもらうことにした。
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 職人の仕事場を拝見する時には、私はいつも熱くなる。私の父は船大工、木造の漁船を建造する職人であった。少年時代から高校を卒業して大学に進むまで、私は父の仕事を手伝い、父の仕事を見ながら育った。私は結局父の仕事を継ぐこともなく郷里を離れたのだが、学者と大学教師という職人とは異質の世界に迷い込んでしまい、いまだに模索が続いているのだが、多くのことを父から学んでこれまで生きてこれたと思っている。このことはまたいつか書く機会が与えられるならば、私の心情のあるところを表現したいと考えている。
 ところでPさんの仕事場の話に戻ろう。
 手織機は何度か見せてもらったことがあるが、力織機の動いているのを見るのは初めてのことだ。以前は工場だった建物を五軒長屋に改造したのだそうで、天井の梁が長屋全体にと
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おっているという、普通の長屋にはない構造になっている。それぞれの区割りを買った人はみな賃機の仕事をすることが予定されていたので、それぞれに織機をいれて仕事をする部屋がしつらえられているという、不思議な長屋ある。
 玄関を入って一番の奥の部屋が仕事部屋になっていた。2台の織機が設置され、すれ違う余地などなく、二人が背中合わせで立って作業するのがぎりぎりという広さであった。景気のよい時はご夫婦で仲良く背中合わせで織られていたのだろう。それにしても狭い部屋
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での機の響きは大きく、機械が出す熱も部屋に充満して夏の仕事は大変だったろうと想像する。かって和装産業が活況を呈していた時は、この長屋全体の織機の音が合わさって、地域全体の響き合流していた。地場産業を持つ都市ではどこででも響いていたはずだが、西陣の響きはこの京都にまちを特徴づけるものだった。それは京都近代の歴史の響きであり、繁栄の証であった。いま西陣を歩いてもこの響きはか細く、しかも滅多に聞こえてこない。
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 帯の裏地とはいえ、表地を引き立たせるのに十分な美しさである。織元の下で縫い合わされる表地は想像できないのだが、できあがった帯でこの裏地がどのように映えるのか一度見てみたいものだ。
 美しいものを織り上げる仕事場なのだから、機械の整備もいきとどき、よく磨かれているようにみえた。狭い空間のなかに置かれるべきところに道具も原料も配置されている。隣の家の仕事場も拝見させて頂いたが、その整頓ぶりに感服させられた。
 父の仕事場を思い出していた。父の作る船は完璧で美しく装飾が施されていた。道具は使いやすいところに配置され、一見すると雑然としているが、配置に秩序があった。仕事がいつ舞い込んでも対応できるように道具の手入れを怠らなかった。いつも鉋や鑿を研ぎ、鋸の目立てを欠かさなかった。使いやすいように必要なものを配置する、必要な道具はいつでも使えるように手入れをしておく、一見雑然とした部屋にも秩序を維持しておく等々、父の職人的規律から私も自分の仕事場のありようについて学んでいるつもりだ(続)。(2014.5.20)

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このページは、kitanihitoが2014年5月20日 10:29に書いたブログ記事です。

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