2014年12月アーカイブ

書物を処分する

 中断していた書物整理を再開した。先日その1回目としてようやく詰め終わった8箱を梁山泊店主S氏に引き取って頂いた。現在取りかっている仕事、あと10年生きて取り組めるかもしれないテーマに関する書物以外は体力に合わせて徐々に処分するつもりだ。何年かかるだろうか。
 体力が衰えてくると、書棚の最下段と最上段にある書物を取り出すのは結構つらい。特に最上段は踏み台や梯子を使うので、転倒のリスクが高まる。そういうこともあって、この段を早急に空にしなければならない。それと、棚に二重に並べていると、後ろにどんな本があるかわからなくなってしまう。だから、書物を見える範囲の量に抑えることも必要だ。これが整理の当面の目標である。
 書棚は衣装箪笥と同じようなものだ。自分の目で見渡して確認できる範囲にあり、そのなかから選べるのが、もっとも心地よい。着る気がなくなったもの、体型に合わなくなったものは処分しなければならない。蔵書なるものも同じようなものだと思う。つね日頃処分のための整理が必要なのだ。ただ、自らのステータスを誇示するためには、最低限それなりのものを残しておかなければならないのだが。
 大学に入ったときも、大学院を終えるときも、書物は手元にほとんどなかった。それなのになぜこんなに書物をため込んでしまったのだろうか。この国の知識人や学者、文化人と自称する人びとの一部には蔵書量を誇る悪しき慣習があった。その悪弊はいまだに続いている。手元に小さな図書館をつくるような連中がまだたくさんいる。私の場合はどうだったのか。私にはため込もうという小市民的悪弊はないといってよいだろう。
 ただ、前の戦争によって地域の文化水準が極限にまで落ち込んだ状況の中で育った私は、人一倍書物に対する渇望が強かったかもしれない。そのことが書物をため込む性向に隠されていたことは確かであろう。この隠されていた渇望はときどき私の深部から吹き上がり、書物の集積に貢献した。
 手がけたい分野が増え、周辺の知識の蓄えも必要になって蔵書量はふくれあがっていった。インフレ的な購入で書店への負債も膨張した。書庫を作り、書棚もたくさん購入した。誇れるほど仕事を成果として残してはいないのだから、購入した書籍量の費用対効果は算出するまでもない。
 最後の決断をしなければならない時は近づいている。私は2012年に「蔵書整理の顛末」という文章を『名城大学経済・経営学会会報』(No.11、2002年11月)に載せている。(このエッセーは私のホームページに写真を削除して文章だけを転載してある。http://www.focusglobal.org/kitanihito/03.html)。この文章の結論は、感傷的なものだ。
   私の書斎の壁に、19世紀ドイツの画家カール・シュピッツヴエークの作品の複製が2枚飾られている。1枚は「書物の虫」、もう1枚は「貧しい詩人」と題されている。前者は19 世紀のビーダーマイヤー風の書庫で、脚立の上で本をひもとく老人の姿が描かれている。これはまさに蔵書私有の表現である。確かに学者には書物の所有へのあくなき願望がある。場合によってはそれが排他的な独占欲にもなる。私にとって、この絵は書物をため込むことへの自戒の意味を持っていた。残念ながら、私はこの自戒に沿った暮らしをしてこなかったように思う。
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 もう1枚の絵、これは私のもっとも好きな絵の一つである。ミュンヘンのノイエピナコテーク所蔵の絵で、さまぎまな想像をかき立ててくれる。貧しい詩人は雨漏りのする屋根裏部屋で寒さに震えながら思索にふける。暖を取るために燃やす書物もほとんど残されていない。彼は売れる詩を書けているはずはない。彼の手許に最後に残された書物はどのようなものなのだろうか。なろうことなら、私もこのように市井の貧しい学者としてロマンチックに生きたい、名誉も勲章もない暮らしをしたいという私の願いを表現しているような気がするのだ。所有への執着をこの絵に示されるように見事に捨て去ってみたいといつも願いながら、残念ながら実現できずにいる。この文章を書いてからすでに10数年が過ぎているというのに、私の蔵書整理は遅遅として進まない。
 私はいつも、書籍に限らず、知的活動の痕跡を自分の意志で見事に処分して、丸裸で消えたいものと願っている。丸裸になれなくとも、貧しい詩人のように何冊かの読みかけの書物を手元に置いて逝きたいものだ。そのような終わり方こそ、無一物で学問の世界に乗り出した私の晩年にふさわしい。この願いは強まるばかりだ。(2014.12.18)
PB100154.JPG 先月、2週間ほど京都南病院に検査のために入院した。2年ごとの入院も今年で4回目となる。自分の身体の状況を客観的に見てみようと始めたこの定期入院の目的は、時間の経過とともに大きく変わったと思う。80才近くにもなると、病を一つも持たない人などほとんどいないだろう。私の場合、病院や診療所で診てもらっている病の数だけでも十指に余る。10年ほど前の私ならこれらの病名すべてに抵抗する気分の中で生きていた。医師たちにも抵抗していた。
 今になってよく考えてみると、これほどまでに長く、時には質素に時には放埒に生きてきて、私の体の器官はすでに十分すぎるくらいに使われ、くたびれている筈なのだ。つまるところ、私の年齢での病はこのくたびれと渾然一体となって現れるのだ。だから、「抵抗」は意味のないことだと考えるようになったのである。
 医師たちは「病気」の兆しを観察と検査によって発見し、その治療に全力をあげる。その努力にはいつも感謝している。やむを得ぬことかもしれないのだが、私の「老いと病い」の感覚とは必ずしも一致しない。しかし、そんな不一致はこの年齢になるとどうでもよいことなのだ。入院するのなら治療に身を委ねるべきなのだ。
 「多病息災」、これが私の最近の生活原則である。もはや「一病息災」などといいきれる年齢ではないのだから、老いとない混ざって現れる病とうまくつきあって生きるしかないのだ。
 学びを生業とするものとして、可能な限り生きながらえたいと願っている。いまのような面白い時代を体験できるのだから、10年どころか20年も生きたい。そうはいっても、今の程度の知的能力と好奇心が維持されて元気に生き続けられる保証は全くない。検査入院は、2年刻みで私の長生への渇望を確認する行為だといえるだろう。(2014.12.7)

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