せんべいを囓りながら中学生の頃を思う

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 Tさんから菓子が届いた。京菓子に満足している私のところになぜまた北海道のはずれのちっぽけなまちの菓子など送ってくれるのかといぶかりながら小包を開けてみた。せんべいが出てきた。直径20センチあまりの円盤型のせんべいである。袋には「根室銘菓 オランダせんべい」とある。どうしてオランダなのか。あのまちは歴史的にも現在もオランダとは何の関係もないはずだし、オランダにこの種の菓子があったかどうか、ヨーロッパ滞在で得た私のささやかな知識には見いだせない。
 齧ってみた。せんべいといいながら、香ばしさもなく柔らかい。何かしら郷愁を感じさせ、思い起こされることがあった。袋を見ると、昭和25年創業とある。1950年、私が新制中学2年の頃だろうか、製造元の住所は私がその頃住んでいた家近くではないか。南部せんべいを焼く店が近くにあり、この種の円盤型も焼いていたような気がする。食べながらグーグルマップの写真を検索してみた。菓子屋は確かにあったが、外装の真新しい建物で、呼び起こされた私の記憶の風景とは違っていた。
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 あの頃は空腹の毎日だった。中学校はようやく新しい校舎ができて、小学校に間借りしての二部授業から解放されたものの、はまちから数キロ離れた場所に建てられた。通学は毎日雨の日も雪の日も遠距離散歩をするみたいなものだった。その上、学校が終わると新聞配達、老弁護士のお宅の水くみ等の仕事は休めなかった。家でもすべき仕事はたくさんあった。特に夏から始まる冬に備えた燃料の薪の準備は手抜きができなかった。それに加えて父の仕事の手伝い。どれも体力のいる厳しい仕事で、いつも空腹だった。
 空襲の後で駄菓子屋などまだなかったと思う。塩味の南部せんべいで満足するしかなかったが、それもかなりの値段だったと思うから、たまのおやつだったのではないだろうか。その店がここだったのだろう。この円盤型せんべいも食べた記憶があるようなないような。ただ、砂糖は貴重品だったから、頂いたせんべいほど甘くはなかったと思う。
 あの頃のひもじさを懐かしく思い出した。そして、あの頃から続く私のひもじさの系譜をあれこれたどっていた。せんべいとともにTさんが送ってくれたのは、おそらく彼女と共有していたであろう記憶を思い起こさせる仕掛けであったのかもしれない。
(2015.5.4)

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このページは、kitanihitoが2015年5月 5日 22:04に書いたブログ記事です。

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