2015年7月アーカイブ

西陣空襲慰霊碑を探して

P7080582.JPG  6月27日付の新聞各紙はその地方版で、前日に営まれた西陣空襲70周年の慰霊式典を写真入りで伝えていた。地元の人びとのささやかな慰霊式典の感じがした。東山区の空襲については知っていたがこの空襲のことはまったく知らなかった。地元の年配の方に「西陣空襲」をご存じですかと訊ねると、「出水の空襲」のことですねと返事が返ってきた。地元では語りつがれている。  7月8日午後、診療所の帰途に雨も上がったようなので散歩をかねて慰P7080583.JPG霊碑を探しに出かけた。千本通を下長者町でおれて東に歩き、智恵光院通との角にある児童公園(辰巳公園)にたどり着く。慰霊碑の立つ位置が実に不思議なのだ。智恵光院通から正面が見える。公園に憩いに来る人たちには背を向けていて何の石碑かわからない。碑文を読み慰霊するには、道路と公園を隔てる柵との狭い空間に立たなければならないのだ。慰霊碑が政治家たちが売名のために建てる記念碑のように仰々しいものであってはならないのだが、少しおかしな感じがした。このような形でしか公園の利用を認められなかったのだろうか。そういうことなら、なおおかしな話だ。  碑文によると、1945年6月26日昼前の突然の空襲で、死者は44人、全壊家屋は71戸、罹災者は850人を数えたという。この公園もその跡地に作られたようだ。小さな慰霊碑で10年前に有P7080584.JPG志によって建立されている。  自分のまちの戦争被害を伝えることに、自治体のほとんどは冷淡である。こんな小さな慰霊碑を建てるのに60年もの歳月を要し、しかも有志の拠出で費用がまかなわれている。市長が慰霊碑に献花したということなど聞いたことがない。何故だろうか。京都の場合、アメリカの学者が懇P7080588.JPG願して空爆を免れてと言う大嘘がいまだにまかり通り、むしろ増幅している。
 空爆による直接の破壊だけではない。なぜ堀川通、御池通、五条通その他が京都のまちに似つかわしくない広さなのか、これも戦争被害なのだ。この智恵光院通も軍部が強制的にまちを壊して拡幅したので今日の姿になっている。自治体は戦争被害の実態を知らせることに取り組まP7080587.JPGP7080589.JPGなければならない。怠っているとしかいいようがない。このままでは自治体から戦争協力の言質を取ることは容易なことではない。戦争への道はすでに足もとから始まっているではないか。
 智恵光院通を下がり、出水通を横切って、下
立売通を右折するとすぐに山中油店がある。京都を代表する古い商家である。そのショーウィンドウに空襲のときに屋敷に落ちた爆弾の破片が展示されている。このような試みはよいことだと思う。(2015.7.9)

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