2015年9月アーカイブ

P9180056.JPG  9月18日、Kの車で根室半島に点在する前の戦争の軍事遺跡を探し回った。市街地を出てオホーツク海側を東に走ると牧場、牧草地、牛が草を食む風景が続く。
 昔はこれほどまで草地にはなっていなかった。人の侵入を阻む湿地帯と森の地域であったと思う。半島の太平洋側は昆布を採る漁民の入植が多く、昆布を干す砂利浜が続いていた。道路も通じていたし、集落を結ぶ拓殖鉄道も施設されていた。オホーツク海側にはまともな道はなかった。点在する漁民の集落と市街地は船で結ばれていたと思う。市街地を出ると細い幾筋もの川が海に流れ込んでいる。市街地から「一番川」「二番川」と数えていたはずだ。アイヌが住んでいた頃の川の名が多く残るが、このような番号で川の名が正式の地図に載っているところは滅多にないだろう。何番川まであったのかは知らない。野草やフレップという野いちご、ヤマブドウを採りに行くときなど、何番川を上流あたりと教えられ、湿地と藪に分け入ったものだった。
P9180057.JPG いまこのように道路が開通し牧場の開発が進むと、あの頃気がつかなかったものが、不思議に見えてくる。一番川に始まるか細いとても川とははいえない水流もそうだし、とくにミズナラの群落には惹かれる。昔はもっと多かっただろうと思う。暖房用の薪や、和船の材料に利用されてかなりの数が伐採されたと思う。それでもまだ沢山残っている。
 何故これほどまで惹かれるのか。内地のナラの木とはまったく違うその形状のせいだと思う。群落の一つの近くにに車を止めて近くから眺めた。じっくり見るのははじめてのことだ。
P9180060.JPG 半島をオホーツク海側から太平洋側に吹き抜ける風で大きくかしいでいるだけだと思っていた。長い冬、それほど厳しい寒さではないのだが、オホーツク海が流氷で埋まる頃に渡る風は身を切るような冷たさだ。そのなかで生きることを強いられた木々は上に伸びられず、身をすくめるように、身体を寄せ合うように横に広がる。樹齢100年を超える木にはとても見えない。吹く風が直線的でなく複雑なのだろう、よく見るとその枝のまがり、くねりが実に多様で、皆それぞれに個性的なのだ。同行してくれたKも含め、地元の芸術家たちがこの木に惹かれるのが理解できた気がした。
 それにしても、ミズナラ同様この厳しい自然に囲まれて私自身もよくぞ育ったと思う。そして80歳までも生きている。なんとなく自分のこれ前のありようとこれからをこの木の姿に重ね合わせてみたくなった。気候や風土が性格や個性を作り出すとは思わないが、私の姿はこれだと確信した
のであった。丹頂鶴のつがいがのんびりとえさを啄んでいた。のどかにも見えるが、その姿に近づく冬の厳しさも思った。(2015.9.27)
 この数年の夏の暑さといったら、高齢者にとっては例えようのない厳しさだ。猛暑日が連続した今年は特にひどかった。ただこの数年の体験から、猛暑をしのぐ術を身体が学習してくれているようだ。運動不足にはなるが、とにかく家にこもって体力を消耗しないようにすることが一番。予定していたことも取りやめにしたりすっぽかしたり、決まり事のように毎年出かけていたことも今年は行かなかった。友人たちとの約束も一方的に破棄された。どうにか乗り切れたが、さびしい夏になった。来年からは、夏は書くことも外に出ることも控えて老いぼれ熊にふさわしく「夏ごもり」を心がけよう。
 突然涼しくなった。老いぼれ熊も「夏ごもり」から目覚めてよろよろと這い出し、動き始めることにした。明日から1週間、慎重に控え目にと忠告する主治医や制止する家族を振りきって、生まれたまちに旅をする。頭の調子が良いから体調も良いと錯覚しているのかもしれない。
 高等学校の同期が80歳を祝賀し同窓会をやるという案内があった。18歳の頃の級友が何人まだ元気でいるのか、会って元気をもらいたいと思い、大分前に出席の返事だけは出していたのだが、よろよろ歩きの体力でなんとか出かけられそうな自信も出来たので旅立ちを決意した。
 出かける本当の理由は別のところにあった。私のうまれたまちの空襲から70年、地元の友人たちの努力で犠牲者慰霊碑がようやく建立された。あれほどの犠牲を強いられたのに、慰霊碑が立たないことに秘かに怒っていた。あのうらぶれたまちを飛び出して異質の人生を選択した私には、そのことについて声を荒げて主張する資格はなかった。それだけに、完成はうれしいことだ。あのまちの戦争の記憶の風化はこれでいくらかは歯止めがかかる。遺族としてはありがたいことだ。この気持ちは他人に説明して簡単に理解してもらえるようなものではない。碑の前に立ち拝礼し、建立のために尽力してくれた人びとに感謝すること、これが旅の最大の目的だ。
 数年来、私は戦争体験の記憶を書きためている。完成までにあと10年くらいはかかるだろう。みすぼらしいあのまちの過去の歴史を書くつもりでも、現代史の一部を書くつもりでもない。私自身の空白を埋める試みだと思っている。あのまちの内部と周辺には無数の「戦争遺跡」が残っている。そのことをうすうす感じ取りながら、あるいはまったく知らずに生きてきた。いまこの空白を埋めたいのだ。友人たちの案内で原野に眠る戦争の跡を探査し、その意味を考えたい。
 よろよろ歩きのくせにまだ頭のほうが静かに生きることを許してくれないのだ。無事京都に帰り着けたら、今まで以上に熱くなって書き始めつもりだ。(2015.9.15)

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