ミズナラのねじれに人生を重ね合わせるー北帰行通信(1)ー

P9180056.JPG  9月18日、Kの車で根室半島に点在する前の戦争の軍事遺跡を探し回った。市街地を出てオホーツク海側を東に走ると牧場、牧草地、牛が草を食む風景が続く。
 昔はこれほどまで草地にはなっていなかった。人の侵入を阻む湿地帯と森の地域であったと思う。半島の太平洋側は昆布を採る漁民の入植が多く、昆布を干す砂利浜が続いていた。道路も通じていたし、集落を結ぶ拓殖鉄道も施設されていた。オホーツク海側にはまともな道はなかった。点在する漁民の集落と市街地は船で結ばれていたと思う。市街地を出ると細い幾筋もの川が海に流れ込んでいる。市街地から「一番川」「二番川」と数えていたはずだ。アイヌが住んでいた頃の川の名が多く残るが、このような番号で川の名が正式の地図に載っているところは滅多にないだろう。何番川まであったのかは知らない。野草やフレップという野いちご、ヤマブドウを採りに行くときなど、何番川を上流あたりと教えられ、湿地と藪に分け入ったものだった。
P9180057.JPG いまこのように道路が開通し牧場の開発が進むと、あの頃気がつかなかったものが、不思議に見えてくる。一番川に始まるか細いとても川とははいえない水流もそうだし、とくにミズナラの群落には惹かれる。昔はもっと多かっただろうと思う。暖房用の薪や、和船の材料に利用されてかなりの数が伐採されたと思う。それでもまだ沢山残っている。
 何故これほどまで惹かれるのか。内地のナラの木とはまったく違うその形状のせいだと思う。群落の一つの近くにに車を止めて近くから眺めた。じっくり見るのははじめてのことだ。
P9180060.JPG 半島をオホーツク海側から太平洋側に吹き抜ける風で大きくかしいでいるだけだと思っていた。長い冬、それほど厳しい寒さではないのだが、オホーツク海が流氷で埋まる頃に渡る風は身を切るような冷たさだ。そのなかで生きることを強いられた木々は上に伸びられず、身をすくめるように、身体を寄せ合うように横に広がる。樹齢100年を超える木にはとても見えない。吹く風が直線的でなく複雑なのだろう、よく見るとその枝のまがり、くねりが実に多様で、皆それぞれに個性的なのだ。同行してくれたKも含め、地元の芸術家たちがこの木に惹かれるのが理解できた気がした。
 それにしても、ミズナラ同様この厳しい自然に囲まれて私自身もよくぞ育ったと思う。そして80歳までも生きている。なんとなく自分のこれ前のありようとこれからをこの木の姿に重ね合わせてみたくなった。気候や風土が性格や個性を作り出すとは思わないが、私の姿はこれだと確信した
のであった。丹頂鶴のつがいがのんびりとえさを啄んでいた。のどかにも見えるが、その姿に近づく冬の厳しさも思った。(2015.9.27)

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このページは、kitanihitoが2015年9月29日 09:00に書いたブログ記事です。

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