2016年2月アーカイブ

新しい上着がほしい(続)

  可能な限り自然の素材を身にまとい暮らしたいと、つねづね心がけている。環境保護主義者、エコロジストを自認する私には、綿製品、皮革、木の製品、特に自然環境に対する負荷の少ない森林から伐採された木材の製品を愛好している。しかし、天然素材のほうが合成物質よりも環境負荷が少ないとは必ずしも言えない。木綿はその栽培に多くの水を使用し、土壌の肥沃度を絞り上げる。安価ですぐに買い換えるような洋服の環境負荷は最悪である。出来るだけ長持ちするもの、直ぐに飽きが来ないものを買い求めることが環境負荷を軽くするためには重要になる。
 
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 さて上着をどうするか。私はこの20年ほど藍染のものを好んで着る。今度も藍染のブレザーがしくなった。西陣の千両が辻あたりに藍染を専門にする店がある。帯や金襴ではな、藍染で売る店が西陣にあるとはめずらしいことだ。診療所の帰り道に散歩を兼ねてこの店を覗いてみた。
 店主のUさんは、私の店の藍染は20年は着て頂けますよと何度も強調した。
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ちょっと待って下さい、私はもうすぐ80歳、20年保障されるなら、私は100歳まで生きなければならない、
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それは到底無理なことです。この問答を何度か繰り返しているうちに、この上着を着たら、曲がり始めた背筋もただされ、活力みなぎる暮らしが続くかもしれないと考え始めていた。新しい服をまとうことには、そのような力があるのだろうと考え始めていた。私が考えていたより高価ではあったが、長く着られ、その分環境負荷が低下すると言うのなら買ってもよいという気分になり始めていた。(2016.2.22)

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 2016年2月13日午後、お世話になっている永原診療会の新しい施設として「自在館ぼたんぼこ」が完成し、その内覧会があった。千本通をはさんで診療所のむかいに完成したいわゆるサービス付き高齢者住宅である。私は単身ではないからこの施設に入所できる資格はないのだが、老齢者、しかも比較的裕福な老齢者層がいったいどのような条件でこの施設で暮らすのか見ておきたいと考えた。
 率直に言って、私の所得では小さな部屋を借りるのが精一杯。ということは、現役の頃、企業内の地位の高かった人か現役の間に十分に蓄えた人に限定される施設と言うことに
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なるだろうか。小さい部屋は、今の生活を捨て去る状況に置かれるか、勇気を持ってその生活規模に合わせる決断をしない限り、私には適応が難しいような気がした。
 西陣地域は地域医療の水準の高いところだ。その支援があれば生存のぎりぎりまで自宅で頑張れるのではないか。私はその支援に期待をかけて厚かましくもそのように生きるつもりでいる。
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 窓から見える景色は魅力的でだ。東山連峰、比叡山も大文字が灯る如意ヶ嶽、北山、西山、船岡山、衣笠山、左大文字等、すべてが見渡せる。五山の送り火は4箇所は確実に拝むことが出来る。ここに住んで、この風景の中でのんびり過ごすのも案外良いのかなと考えたりもした。
 もう少し沢山の人の手に触れ、彼らの息遣いによって堅さが取れた頃に住んでみた見たいとも考えた。もちろんその時にお金があればの話だが。(2016.2.16)

新しい上着がほしい

 70歳を過ぎたあたりから、この世を去るまで何を着て生きるかについてつくづく考えた。洋服ダンスの中には外出の時にまあ失礼にならない程度のなりが出来るぐらいの数の洋服があると勝手に判断した。これらを組み合わせて着ていけば十分だろう、新しく買うこともないだろう、おそらく不格好にも貧相にも見えないだろう、人の値打ちは着ているものでは決まらない、襤褸ををまとっても自分は自分だ、そう勝手に考えていた。
 最近、つくづく感じることがある。どうも人の視線が以前と違うのだ。電車やバスのなかで奇異の目で観察され、時にはホームレスと間違えられた。自分のことを「よぼよぼ歩きの老いぼれ羆」あるいは「放浪老人」と呼び、自らの奇異ないでたちを楽しんでいるふうでもあった。それが最近はどうも周囲の視線が違うのだ。白髪でしみだらけの顔をした老人、色あせた洋服にリュックサック、買い物で膨れ上がったとても高価にはえない袋、これは確かに異様な風体ではではあるのだが。外出する際にはもう少し身なりに気を配るべきだと最近つくづく反省し始めている。
 この反省の態度を決定的にしたのは、昨年秋の北海道旅行の写真だ。自分の写真は滅多に撮らないのだが、珍しく友人に数枚撮ってもらった。写真を見て愕然としたものだ。老いの様々な特徴が露わになっている、白髪は顔色の悪さを際立たせ、精気がまったく感じられないのだ。元の鮮やかな色を失った上着は、この人相をさらに白っぽく貧相に見せるのに一役買っていた。これでは駄目だ、新しい上着を着て、活力のあるところを示さなければならないと、このときから考え始めた。
 「自分は自分」「俺は俺」の原則、わがまま勝手に生きてきた原則も、そろそろ見直しの時期にきているように思われた。いくら町学者を自称してわがままを生き続けたいとは言っても、これから老齢者として生きて行くには社会的な支えが必要ではないか。それなりに着飾って身綺麗にすごして支えてくれる人たちに不快な感じを与えないことが必要ではないか。ささやかでも変化を示せなければ、いくらかでも彩りある暮らしを実現しなければ、そのような思いが募って新しい洋服を買うことに気持ちが昂ぶり始めていた(続く)。(2016.2.2)

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