2016年4月アーカイブ

.80歳の検査入院

 
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2016年3月15日から26日まで、京都南病院に入院していた。身体検査のためである。これまでは2年毎に入院していたが、80代に入ったことでもあり、主治医の意見も入れて今年から1年半毎にすることに決めた。身体は健康も病気も含めて自分のものだ。医師たちの支援を得て身体状況を客観的に確認しておくことは、特にこの年齢になると身体を大事に使うために必要なことだと考えている。
 検査の結果は、年齢相応といったところだろうか。いくつか再度の検査が求められた。当分
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の間検査の後始末が続くことになるだろう。そんなに詳しく調べて病に対する不安はありませんかと、よく訊ねられる。決してないわけではない。しかし、80年も使い続けた身体の各部位にくたびれが出ていない方がおかしい。これから生きていくためには、くたびれた部位を大事に丁寧に使うことが重要なのだ。次に病棟でお会いするときはまた検査でと、退院の際に主治医は挨拶した。次の検査まで臓器のそれぞれを大事に使いますと、私は答えた。これから1年半の間は病に苦しまないことを切に望んでいる。

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 入院生活は退屈だ。検査と検査の間、検査のない日は身体をもてあます。以前は、病院近くを散歩することを認めてくれたのに、今は一切駄目。足が弱ると主治医に訴えたところ、病院内を散歩しなさいとのこと。早速実行に移した。他の病棟の看護師に、病室を忘れれたのですかと問われ衝撃を受ける。認知が始まった患者に間違えられたのは初めてのことで、院内散歩はこれっきりにした。
 よく考えてみると、認知が始まっている患者に間違われても当然なのだ。そういう年齢に私はとっくになっているのだから。病棟はそのような高齢の患者さんで満ちている。奇声を発する人、夜中に徘徊する人、病室に盗聴器が仕掛けられていると訴える人、さまざまだ。病院は社会が当面している高齢化の矛盾を表現しているなど間の抜けた評論をいまさら書いてもしようがない。私自身がすでにその当事者になっているのだから。
 「団塊の世代」が後期高齢者になる頃まで私は生きているだろうか。かりにその頃まだ生きていたとしたら、私には病院にも介護施設にも居場所は残されてはいないだろう。姥捨山が必要になる。学問を志して以来、ろくな死に方はしない、いずれのたれ死にと覚悟はしていたつもりだが、そのような状態になることを想像すると苦しくなる。

 いつもの入院のように書物とCDを沢山持ち込んだ。時代小説、サスペンス、ハイドボイルド、たまっていた黒井千次の短編集等10冊ほど、C・アバド、D・バレンボイム、N・アールノンクール等10枚ほど聞いた。読み疲れ聴き疲れると、病院で働く人びとの仕事ぶりを眺めていた。働く人びとに接することが出来るのは、書斎にこもりがちな私にとっては楽しいことだ。医師、看護師、理学療法士、食事を運んでくる人、湯茶を配る人、それに掃除の人、病との廊下まで巡回する警備会社の職員等々、私の世界とはまったく違うものを発見し、彼らの働きぶりに比較して時には自分の未熟を思い知らされる。

 入院の際には東寺金堂の薬師如来に参拝することにしている。厳しい外出禁止令をかいくぐって今回も出かけることが出来た。ちょうど「弘法さん」の市が開かれていた。無病息災と長命という私のあつかましい祈願はいままでのところは十分に叶えられている。弘法大師の霊験あらたかと言うべきか。

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