2017年9月アーカイブ

西陣散策再開ー淨福寺通あたり(1)ー

 京都に住みながら西陣の中心に足を運ぶ機会はほとんどなかった。立命館大学に用事があるときに時々鞍馬口通りを西に歩いて柏野あたりを通り過ぎるくらいだったろうか。6年ほど前に持病が急変し、身体が動かなくなってしまった。病院、医者をいくつか渡り歩いて永原診療会のリハビリとストレッチに行き着き、それ以来なんとか体力を維持している。
 その頃から診療所を起点にして散歩をはじめた。千本通を北から南に歩くことからはじまり、この通を軸に西陣の深部に向かい歩きはじめた。この散歩が実に面白く、いまだに続いている。このまちの奥深さと衰退に見るはかなさ、悲しさとを同時に観察できた。まだ現役で頑張っている仕事場と織機、職人たちの姿、戦前から続く飲み屋、食堂、喫茶店も生き残りに精一杯努力している。それらはどこをとっても魅力があり、書いてみたくなる。健康維持の目的で散歩をはじめたたのに、いつの間にかこのまちの魅力のとりこになりはじめていたのである。
 胃がんが見つかりすぐに手術、入院期間はそんなに長くはなかったのだが、筋肉と体力の衰え方は想像以上で前と同じ調子で歩くことは困難になった。退院後6ヶ月が過ぎなんとか足の力は回復したような気がする。再開したいという気持ちがうごめきはじめた。
 診療所でよくご一緒する福岡さんの工場が炭素繊維を布を織り上げることに成功して新製品を開発したという記事が新聞紙上で話題になっていた。炭素繊維という最先端の工業技術で生み出された高価な繊維と西陣織のような伝統的技法がどのように結びつくのか、衰退を押しとどめる策となり得るのか、関心があった。見せてほしいという厚かまし願いを聞き入れて頂いて、9月8日午後に仕事場にお伺いすることになった。ここから再開することにした。
 
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 フクオカ機業のある上京区淨福寺通五辻東入のあたりは何度も通った道なのだが、そのような工場があることにまったく気がつかなかった。西陣織の最盛期にはおそらく狭い淨福寺通の両側、路地には織屋さんがひしめいていて、荷を運ぶ職人たちが忙しく行き交う通りであったはず。いまでは看板を掲げた町家は何軒か残ってはいるが、路地からも長屋からも機を織る音は聞こえてこない。最近ははやりのゲストハウスの暖簾のほうがやたら目立つようになった。
 本輶寺の美しく仕上げられた土塀の前を過ぎて、上立売との交差点から先は石畳になり、両側に仕事場が並ぶ。もともとこの通りにあった仕事場を新しくしたのか、他から移したのかわからないが、その一つ一つを訪ねる楽しみはこれからの散策にとってある。
 この通り、何の変哲もないどこにでもある通りに見えるが、機織りの音、職人たちのざわめき
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は聞こえなくても、私は往時の繁栄を想像できて歩き観察するだけでうれしくなり、その衰退の姿にも同調させられるのだ。私は職人の子である。父を継げななかったのは、その才能がまったくなかったからだ。戦後職人の経済的地位は急落し、継ぐどころではなかったし、戦後の教育民主化は私に父とまったく違う道に歩み出すことを可能にしてくれたのだった。私が職人のまちをあるいて感じるある種の共感は、私の中にあるなりそこねたけれどもまだ残る何かが共振
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するからに違いない。このまちの散策は、私にとって回想の時を与えてくれるまさに至福の時なのだ。(2017.9.15)

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