2019年6月アーカイブ

  「学ぶ」ことはすべての人ことに与えられた普遍の権利である、このことについて考えはじめたのは大学に進学してからであった。本屋など一軒もない公立図書館さえもない田舎のまちからやっとの思いで脱出してたどり着いた大学は私に知的好奇心を全開させる機会をとりあえずは十分に与えてくれた。あの18歳の春以来切ことなく私はこの好奇心の広がりに頼生き続けている。
  社会科学に関心が湧かなかったわけではない。大学入学の頃には、そのための体験も予備的学習も田舎出身の私にはまったくといってよいほどなかったといってよいだろう。その上、北海道という「殖民地」出身の私には、たとえば当時の若者をとらえていた日本資本主義論争、講座派と労農派との論争を理解するために必要な風景すら見たことがなかった。なにしろ私は大学入学まで米を作っているところを見たこともなかった。内地出身の学生の水準に追いつくのに必死だった。
 大学で学んでよかったかと問われれば、私は即座に肯定するだろう。でも、教えられたかという問いには素直に頷くことはできない。私が大学で得た最大で最高の宝は、教授たちの指導よりも先輩たちや友人たちから得た知的刺戟であった。貧乏を絵に描いたような暮らしを強いられていた私は、大学入学から大学院を終えるまで寮で暮らしたが、あの場所は私にとって最高の学びの場であり、大学が持っている自由と多様性の象徴であった。
 だから、私の学びになにがしかの向上があったとすれば、それは大学という場で与えられた相互に権利を尊重した集団に支えられて獲得されたものだったといってよいだろう。手取り足取り学び方を教えられたことも、ノートのとり方を教えられたことも、論文の書き方を教えられたこともなかった。成長のそれぞれの時点で「見よう見まねで」学び取り、学問らしきものを演じてきたにすぎない。
 誰にでも学びその結果を表現する自由がある。とりわけ大学はその場を保障するものでなければならない。残念なことにこの国の大学制度は、権力の公然たる支配と教授特権をひけらかす勢力に支配され続けてきたといわざるを得ない。学生を学ぶ者としてその地位の向上を保障することなど考えもしない連中、異なった思想や研究方法の尊重、大學内での多様性の尊重などどこ吹く風と無視する輩が力を得ていた。大學内からマルクス主義者やリベラルな学者を排除しようとした占領軍の介入もあり、私が入学した頃の大学では公然たる思想差別と学生の自治活動への介入が横行していた。
  その点では、今の大学は私の時代よりもはるかに深刻だ。「学問の自由」という表現も「研究の自由」という表現も、今のこの国の大学では形骸化し、権力とそれに追随する輩によってみるも無残な状態におとしめられてしまった。私はというと、さぼり遊びまわることで変人の評価を得、それと引き換えになにがしかの自由を享受するという狡猾な道を選んで生き延びてきた。あるいは、大学と学会にそれなりに貢献するふりをして、なにがしかの自由を得た。それはきわどい生き方ではあったが、大学は自身の理想としてあるものだと言い聞かせながら、私は大学の中でぐずぐずと生きたようだ。浰
 現実の大学を離れて私はようやく文字通りの自由を得た。18歳の頃に戻ったのだ。ほっとした。ぐずぐずと生きた時代が少し長すぎたようだが。残された時間は少ないが、面白い時代を体験し考える楽しみは大きい。
 しかし、18歳の頃に私を捉え「学び」に突き動かしくれた好奇心と、83歳の今とでは私の「学び」の立ち位置の違いは明らかだ。あの頃とはまったく違う今の時代の「面白さ」に没入できるのだから。(続く)

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