2021年7月アーカイブ

ワクチン接種がもたらしてくれた自由

 先日、行きつけの診療所で2度目のワクチン接種。1回目の時は軽い熱中症に罹ったのかその日は気分が優れなかった。2度目は、気分が悪くなることはなかったが、1注射針が射し込まれた左腕が一週間ほど重だるく調子が悪かった。ほぼ2週間が経過し、外出の際にいつも感じた重苦しい気分はすこしは軽くなったようだ。感染すれば確実に死にいたる年齢になってこのウィルスの流行は私の気分を暗く思いもものにした。無定見で愚かしげな権力者たちの行動、御用学者たちの無定見な発言にも腹が立っていた。メディアによって毎日繰り返される感染者数の喧伝に、私は前の戦争で体験した大本営発表を思い出していた。この不快感は日々募るばかりだ。

 憂鬱な生活が続く中で、書きかけの文章ファイルが数え切れないほどたまり、読むつもりで買い求めた書物が山のように積み上げられる。実にみっともない哀れな状態だ。問題を感じ取り書き残したいと書き始めた以上、昨年一昨年のことがらであっても書き終えなければならないだろう。

 パンデミックが地球社会に資本主義に与えつつある変容について書かねばならないと自覚している。このような時代に生きられた学者としての幸運を見過ごすわけにはいかないろう。ただ文献が沢山合って現場にも立ち会えるというこれまでのような態度はこの時代に通用しない。漏れ聞こえてくる変容の兆しを感じ取れる能力とこれまで以上の考える力が求められるだろう。多くの志を同じくする人々との議論の機会を増やすことも必要だ。

 ワクチン接種はいくらか広がった行動の自由と鬱屈した雰囲気からのいくらかの解放を私にもたらしてくれるかものしれない。それを期待して、転換の準備を始めよう。

哀れなまでに縮んでしまった私の胃袋

 5年ほど前に胃カメラを飲んでガンが見つかった。3年ごとに検査をしていたのにこの時はどういうわけか少し時間が空きすぎた。ピロリ菌もずっと検出されなかったし、その20年ほど前に大腸ガンを手術していたので、消化器系のガンはもう大丈夫だろうと油断していたようだ。結局、私の胃袋は哀れにも3分の1になってしまった。かっては大食漢でならしたこの私が今では目の前に並べられた料理の嵩にため息をついている。亀のように飲むとまでいわれたのに、酒はもう酒杯を数回重ねるだけで降参してしまう。なんとも情けない状況になってしまった。
  数日前内蔵の超音波検査と胃カメラ検査をやり、翌日執刀した医師の診察があった。検査をしたのだからこれで5年の節目、完治の宣告をいただき、私がお礼の言葉を述べて長くも短くも感じられた「闘病生活」に区切りを付けようと考えていた。もう一回診察がありますよと、医者に言われて私の早とちりに気がついた。でも検査結果は再発なし転移なしですから問題ありませんよと実質的な完治の宣告、この日から気分がいくらか晴れて再出発しようという私の期待はかなりの部分で満たされた。
 それにしても小さい、胃カメラが写し出す映像をディスプレイで見ながらつくづくそう感じた。カメラは食道から何の抵抗もなく胃袋の中をまっすぐに下り、あっという間に十二指腸の入り口に到達するのだから。要するに私の胃袋は食道にぶらさがるタダの膨らみになってしまったのだ。
 でもまだ使える。食欲はいまだ衰えることなく、好物を注文する。出てきた皿を前に胃袋は躊躇する。半分も入らないのではないか。いつもこの繰り返しだ。衰えぬ食欲と惨めにも縮んだ胃袋とをどのように折り合いを付けるのか、これがなかなかの難問だ。うまく解決して、食を楽しみ、栄養不足を解決する解はあるはずだ。
 コロナ禍も去り、友人たちとうまい酒と料理を楽しめるようになる日を努力を重ねて心待ちにしている。

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