ワクチン接種がもたらしてくれた自由

 先日、行きつけの診療所で2度目のワクチン接種。1回目の時は軽い熱中症に罹ったのかその日は気分が優れなかった。2度目は、気分が悪くなることはなかったが、1注射針が射し込まれた左腕が一週間ほど重だるく調子が悪かった。ほぼ2週間が経過し、外出の際にいつも感じた重苦しい気分はすこしは軽くなったようだ。感染すれば確実に死にいたる年齢になってこのウィルスの流行は私の気分を暗く思いもものにした。無定見で愚かしげな権力者たちの行動、御用学者たちの無定見な発言にも腹が立っていた。メディアによって毎日繰り返される感染者数の喧伝に、私は前の戦争で体験した大本営発表を思い出していた。この不快感は日々募るばかりだ。

 憂鬱な生活が続く中で、書きかけの文章ファイルが数え切れないほどたまり、読むつもりで買い求めた書物が山のように積み上げられる。実にみっともない哀れな状態だ。問題を感じ取り書き残したいと書き始めた以上、昨年一昨年のことがらであっても書き終えなければならないだろう。

 パンデミックが地球社会に資本主義に与えつつある変容について書かねばならないと自覚している。このような時代に生きられた学者としての幸運を見過ごすわけにはいかないろう。ただ文献が沢山合って現場にも立ち会えるというこれまでのような態度はこの時代に通用しない。漏れ聞こえてくる変容の兆しを感じ取れる能力とこれまで以上の考える力が求められるだろう。多くの志を同じくする人々との議論の機会を増やすことも必要だ。

 ワクチン接種はいくらか広がった行動の自由と鬱屈した雰囲気からのいくらかの解放を私にもたらしてくれるかものしれない。それを期待して、転換の準備を始めよう。

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このページは、kitanihitoが2021年7月13日 11:46に書いたブログ記事です。

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