民主主義破壊の奔流に抗してーハンス・ショル生誕100年ー

 9月22日はナチズムに抵抗して逮捕処刑された「白バラ」グループの中心にいたショル兄妹の兄ハンス・ショルの生誕100年の記念日であった。ドイツの主要メディアはこのことを忘れることなく記念の記事を掲載している。
 逮捕処刑されたときには、彼はまだ25歳の若者、ミュンヘン大学医学部の学生であった。私は彼らの高い知的水準に裏付けられた英雄的行動に賞賛を惜しまない。それに止まらない。残された写真にその聡明そうな横顔をみるにつけ、若くして前途を暴力的に断たれたその悲劇的最後を思い涙を抑えることができない。
 彼らの英雄的な行動はなおドイツ人に記憶されている。多くの記念碑や記念財団、彼らの名を冠した施設、そして彼らを主役とした映画と出版物は絶えることがない。写真で示したフィッシャー書店から刊行されているインゲ・ショルが編んだ『白バラ』も、1955年に刊行されてからすでに十数回も版を重ねて読み継がれている。
 100年という節目の年にあらためてその記憶が呼び起こされるのは、いうまでもなくドイツ国内でのネオナチ運動の急速な広まりがある。アメリカをはじめとして歴史に真摯に向きあおうとしない政治勢力の跋扈と政権掌握に呼応するかのように、なちずむの復活が急速に進んでいる。この流れにどのように抵抗していくか。彼らはネオナチだと決めつけ叫んでも、その時代の体験が継承されていなければ力にはならない。そうであるからこそ、私たちは先人たちの体験に学び、それを力にすべきなのだ。「白バラ」があらためて論じられる歴史的意味はそこにある。

 私は今年3月にブログ「北仁人のたわ言」に「ショル兄妹が処刑されて75年ー大学とは真摯に歴史に向きあうものー」を書いた。治安維持法による弾圧の犠牲者に対する日本の大学の対応のあり方について問題を提起し、流れに抗していく上での大学の役割について論じてみた。
 大学は抑圧されるものの避難場所であるべきだ、そのなかに多様な主張の存在できる自由が保障されるべきだ、これは私が大学について抱いていた理想であり、追求されるべき目標であった。「白バラ」を大学のあり方に対する真摯な反省ととらえるドイツに学んで、知性の深化と普及にいくらかは責任を持つものとして今何が求められているのだろうか。私の理想と正反対の方向に進む流れに、私はささやかでも学び考え書くことで抗したいと思う。

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