2015年3月アーカイブ

無差別爆撃と戦争責任

 3月10日は、第二次大戦を通じて最も凄惨な戦争被害で知られる東京空襲から70周年の日であった。なぜ私が「最も凄惨な」と表現するのか、その理由はこの文章の中で示すことになろう。
 国内メディアは、10日に都内で開催された「都内戦災並びに関東大震災遭難者春季慰霊大法要」について簡単な紹介をしてはいるものの、この空襲の歴史的意義に注意を払うこともなかったように思われる。まして東京都慰霊堂が関東大震災の遭難者を弔うために作られたもので、大空襲の犠牲者は便宜上そこに合葬されているにすぎないということを指摘するものはなかった。つまり、この法要は大空襲の死者だけのものではないことに注意を払うものはなかったのである。東京空襲の被害者は70年を経てもこの程度の扱いにとどめられているということなのだ。
 しかもこの東京都に限られた法要に内閣総理大臣が出席して追悼の言葉を述べるという異例さについては論評されることはなかった。大阪、名古屋、神戸等の大都市の犠牲者だけでなく、私の生まれ育った北海道最東端のまちの犠牲者にいたるまで追悼するのではなく、なぜ東京にだけ出席するのか(この法要で述べられた内閣総理大臣の追悼の辞の意義については後で論じたい)。
 東京には空襲被害者を慰霊する独自の公的な慰霊碑も記念館も資料館もない。なぜか、その理由ははっきりしている。保守的な政治勢力の徹底した反対の結果なのだ(1)。東京にとどまらず、空襲被害を受けた全国70あまりの都市でも状況は基本的に同じである。このままでは体験の記憶も遺品も蒐集されずに散逸してしまう。東京での犠牲者追悼法要に参列するというからには、いったい過去の戦争の国内での被害に対する認識がどのようなものなのか、空襲被害者の一人として是非知りたいと思うのは当然のことであろう(2)。
 東京の中心部を一昼夜のうちに焼き尽くし、驚くなかれ10万人もの命を奪った無差別爆撃、現代であれば人道に対する罪として追求され、その首謀者は国際法廷で断罪される筈の大量殺人の事実がこれほどまでに軽視されてよいものだろうか。しかも、東京空襲はこの国全体に拡大した都市に対する空襲の連鎖の要(かなめ)であり、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下と続く国内での戦争の序曲であり、その頂点であった。
 後で述べるドレスデン空襲がヨーロッパにおける空爆の象徴として記憶されているとすれば、首都東京に対する空襲も、広島、長崎、沖縄と並んで、あの戦争の非人間性、無謀な戦争に乗り出し、敗北が明白になってもなお戦争を止めずに国民に犠牲を強いた日本軍国主義が生み出した惨禍の象徴として記憶されるべきだと、私は思う。
 これまでの「戦後70年」談話を再検討するというのであれば、この空襲とそれに引き続く国内に引き込まれた戦争の意味も明確に述べてほしい。政治的力を持つ人たちのこの沈黙と黙殺はいったい何なのだろうか。無駄死にを強いられた特攻隊員の死だけが美化され、愛国主義的宣伝に徹底的に利用されているというのに、国内に戦争を引き込んで70以上もの都市の住民に強いて30万を超える人びとに死と犠牲を強いたことはいったいどのように考えたらよいのか。被害者の一人として私はそのように問い続ける責任がある。(2015.3。28)

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