浅田次郎『終わらざる夏』(上下2冊)集英社、2010年7月  ー戦争を知らない作家による戦争文学の傑作ー

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 私は生来食わず嫌いの性癖がある。食べ物の限らない。手をつけたくないものにはとことん抵抗するのだ。浅田次郎も私の性癖に入る作家であった。読みたくない理由は、とにかく書きすぎではないかという単純なものだった。
 この作品を読んでみようと思ったのは、私が今書いている私の戦争体験に関する仕事の資料にしたいと思ったからで、彼の文学への関心からではなかった。私の仕事の遅れのせいもあって、得意の積ん読のスタイルにはめ込まれ、書棚に組み込まれたままで1年以上が経過し、先日ようやく読み上げた。
 この作品は、1945年8月、天皇が例の玉音放送でポツダム宣言受諾を表明した3日後に千島列島北端の占守島(しゅむしゅとう)でのソ連軍との熾烈な戦闘という悲劇的結末にいたる過程に取り込まれてゆく多様な個人の運命を描いている。戦闘場面の部分はごくわずかなのだが、アメリカ軍によって武装解除されるものと想定して英語通訳のために送り込まれた主人公片岡直哉の死は、主人公が戦争が終わったら出版しようと訳出していたヘンリー・ミラーの『セクサス』の抄訳を最後に示すことでその悲劇性が一層高められ、涙をさそう。
 浅田氏は1951年生まれ、出生地は東京である。戦争も戦後の荒廃期も体験していない完璧な戦後派である。東京大空襲などもちろん知らない人だ。そのような人が戦争をテーマに作品を書くに至った心境を是非知りたいと思った。『読売新聞』2010年7月27日号に著者に対する取材記事がある。浅田氏は次のようにいう。戦後65年もたつと、戦争のイメージは画一化される。そのこと自体が風化だとする。例えば戦争による死者数をデータとして知ることは難しいことではない。「でも、、その数字をそれぞれに生活があったということまでは、なかなか思い至らない。この一人一人の思いを知ることが戦争を理解することになる」(YOMIURI ONLINEによる)。同感である。犠牲者の数だけ戦争の悲劇があるのだ。
 私も自分の戦争体験の記憶を同じ視点から「すり込まれている筈の風景」として書き続けている。浅田氏のこの著書に励まされて、書き上げることへの意欲が高まった。(2012年6月23日、沖縄戦慰霊の日に)

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