絶望に打ちひしがれたあの日ー3.11に思うことー

 3.11がまたやってきた。7年前のあの日、私は診療所からタクシーで帰宅する途中、東北で大きな地震が起きてますよと運転手が教えてくれた。家に帰り上がりがまちを這い上がって居間に入りテレビのスィッチをいれた。地震どころか津波の侵入がリアルタイムで映し出されていた。名取川に沿って仙台平野を遡上する津波は緩やかに進むように見えた。ヘリコプターからの撮影が作り出した錯覚であった。多くの無残な死と不幸が想像を超えた速さで生み出されていることは確かであった。
 学びの時代を過ごした思い出の多い東北がこれほど過酷な試練にさらされるとは、この国の歴史ではいつも抑圧と支配の対象であった東北がよりによって自然の法則に強要されるとは、しかも原発災害にまで取りつかれるとは、無念の思いに襲われた。
 私の身体状況はその頃が最悪であった。手も足も思うように動かせず、寝たきりになるかも知れないという不安に襲われていた。東北の地に駆けつけることも、友人たちに電話で安否を問うこともできなかった。何もできなかった。身体の不安も重なって私の絶望感にさいなまれた。
 私はあの日の絶望からまだ立ち直ってはいない。身体は少しは動くようにはなったが、何の支援もできていない状況は変わっていない。めったに起きぬ天災の被害だけでなく、人的な災害にいまなお苦悩する東北の人たちに何ができるのか考え続けている。
 一市民として、彼らが置かれている状況と心情に共感し寄り添うこと、そのことをいつも表現することが重要であることは言うまでもない。学者としてはどうだろうか。私は共感を支えに考えはじめていることを書き続けるつもりだ。声高に「復興」支援を叫ぶ必要はない。あの日の体験が自分の思想に与えた衝撃を静かに書くべきなのだ。
 それでも私のがあの日に抱いた絶望感と負い目は消えることはないだろう。(2018.3.11)

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.01