アウシュビッツ強制収容所ー解放70周年を記念して(2)ー

IMG_20150929_0002_NEW.jpg ナチスは中部ヨーロッパに数え切れないほどに無数の強制収容所を建設した。彼らはそれによって何を実現しようとしたのだろうか。非アーリア系民族を根絶やしにし、共産主義者、社会民主主義者等の反対する人びとを血祭りに上げて、アーリIMG_20150929_0015_NEW.jpgア人による中央ヨーロッパ連邦を建設することであった。この計画を狂気の沙汰とかたづけるのは簡単なことだ。戦争とはいつの時代でも強国が君臨したい地域の統合の理念とともに開始されるからだ。かっての日本の「大東亜共栄圏」や「八紘一宇」にしたところで、日本民族の優越性を中核に潜ませて構想されていたではないか。だから、決しIMG_20150929_0003_NEW.jpgてヒットラーに固有の傾向ではないのだ。日本の権力者たちも決して免罪されるものではない。その優越感、そしてその裏返しとしての他者に対する差別意識は隠しようもないものであった。
 統合は、経済次元であれ政治次元であれ、それ自身のなかに民族間、人種間で平等に共生するという理念を保持しているとは限らない。出発点で共通のテーブルについて議論をしたとしても、そのうちに強者と弱者が意識さ
IMG_20150929_0004_NEW.jpgIMG_20150929_0006_NEW.jpgれ、強者が声高に居丈高になる、そして民族的、人種的関係が強く意識されるようになる。この繰り返し、循環から抜け出す道はあるのだろうか。

 アウシュビッツ強制収容所としては、現在二つの収容所だけが博物館として保存されている。アウシュビッツ基幹収容所とアウシュビッツ・ビルケナウ収容所である。アウシュビッツという地名はポーランドにはない。ナチが収容所を立地させた地名をドイツ語風に読み替えたのである。
IMG_20150929_0009_NEW.jpg 前者の収容所は、ポーランド軍の兵舎を転用したもので、外観を見るだけでは、張り巡らされている電流を通していたはずの有刺鉄線、有名なスローガンを掲げた鉄製の門扉を除けば、内部で展開された悲劇を想像させるものはなにもない。
 入り口の鉄の門扉に掲げられた"Arbeit macht frei"という有名なスローガンの意味をあれからずっと考えている。「働けば自由になれる」、身体的に解放されると希望を抱いてこのスローガンで飾られた門をくぐった人はおるまい。待っているのは強制労働と死による肉体的苦しみからの解放であった。「自由」という表現をこのように理
IMG_20150929_0010_NEW.jpg解するなど、私の乏しいドイツ語能力では考えられない。ただ言えることは、ナチスに限らず権力を握り、ほしいままにそれを行使する人びとはいつでも言葉を自由にもてあそべるとうことだ。このスローガンもそのたぐいのものであったかもしれない。
IMG_20150929_0018_NEW.jpgIMG_20150929_0019_NEW.jpg この博物館を訪問するには、展示に示されるドイツ語の中身を理解できないひとのほうが幸運なことだ。ユダヤ人から剥ぎ取ったものの山、旅行鞄、めがね、靴にはじまって毛髪にまで至ると、部屋をめぐる毎に私の憂鬱は増していく。
 日本でも布教活動を行ったことのあるマキシミリアノ・コルベ神父が身代わりとなって入った暗黒房、銃殺刑執行の場所だった死の壁、ルドルフ・F・ヘスの絞首台、人体実験の場所となった第10地区病棟、ガス室と死体焼却炉と続くと、気の重さよりも打ちのめされた状態に陥っていた。

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