ショル兄妹が処刑されて75年ー大学とは真摯に歴史に向き合うものー

 2月18日は「白バラ」グループを組織してナチの支配に異議を申し立てたショル兄妹らが逮捕された日であった。彼らはその4日後の22日に処刑された。ドイツのメデイアはこの日を忘れることなく、多くの特集と記事を掲載している。私もこの日を記念して、そのうちのいくつかフェイスブックの私のライン上で紹介した。
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 小さなグループがビラを撒くことができたのは
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わずか数回で、ゲシュタポに察知され逮捕された。兄のハンス・ショルはミュンヘン大学医学部の学生で25歳、妹のソフィー・ショルは文学部の学生で22歳という若さであった。このグループに加わったのはミュンヘン大学の学生たちだったが、文学部K・フーバー教授も参加し、逮捕、処刑されている。
 このグループの英雄的行動は今日に至るまでドイツ国民の記憶に鮮明に刻み込まれている。ミュンヘンのほかにカレルの出身地ウルムにも記念碑がある。彼らの行動は何度か映画になり、多数の書物が出版されている。
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 私がこのグループのことを知ったのは、1966-68年のドイツ留学の時だったろうか。ミュンヘン大学を訪れた時、本館前の噴水のある美しい広場がショル兄妹広場、道路を隔てた向かい側の同じ形の噴水を持つ広場がフーバー教授広場と命名されていることを知った。妙な言い方だが、羨望の念を禁じ得なかった。ドイツではこのように小規模な抵抗運動でも大学の年代記に記録され、大学の中心で顕彰されている、日本の大学では考えられないことだった。
 私は共謀罪に触発されて「大学と治安維持法」というテーマで短い文章をブログに書き続けている。この法律の登場によって戦前の治安維持法が想起され、犠牲者たちの名前が取り上げられた。ところが、多くの大学人がこの問題を取り上げる時に肝心の自分の足許の大学での犠牲者たちの心を寄せる主張はあまりお目にかからなかった。
 戦前の治安維持法による弾圧の犠牲者はいつまで経っても小林多喜二であり、三木清や戸坂潤など学者たちの犠牲が取り上げられることは少なかった。少なくとも私はそのような議論に遭遇することはなかった。まして無名の学生たちや朝鮮人学生の犠牲となると、そのような犠牲があったことすら忘却されているのではないかと疑わざるを得なかった。
 大学が治安維持法犠牲者について調べ、その年代記に書き記さないという態度は、その裏面として大学と学者たちが犯した戦争犯罪や戦争協力の免罪や隠蔽に連なる。過去の誤りに正しく向き合わなければ同じ過ちを繰り返すことになるだろう。
 あといくつか書いたあとで、最後にこのショル兄妹を中心にした「白バラ」運動を書いてまとめ上げるつもりでいたのだが、ドイツのメディアの記事に触発されて、このことを書いておくことにした。私の言いたいことは簡単明瞭なことだ。歴史に真剣に向き合わない大学は到底大学とは言えない。年代記を改ざんし忘却を強制する大学も同じではないか。過ちの歴史的事実を消し去って歴史理解を歪める今の為政者たちの態度を共有する大学は戦争準備に易々と引き込まれるのではないか。
 私は歴史に真摯に向き合おうとするドイツの大学とメディアの態度に敬意を表し、頭をたれる。
【附記】添付した写真はウィペディア・ドイツ版の「ショル兄姉広場」の項目から借用したものである。広場の地面に「白バラ」のビラが記念碑としてはめ込まれているのが印象的だ。
(2018.3.21)

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