2012年9月アーカイブ

  
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かって現代史は資本主義と社会主義のイデオロギー的、体制的対立過程を軸に展開されるものと解されていた。それ以外の諸国はどちらの体制に包摂されるかにその将来がかかっていた。社会主義の解体後、現代史の構造は激変した。体制的対立の基底にあった多様な歴史構造が全面に立ち現れ、社会科学者は突然無知の状態に投げ込まれたのである。自分は知っていたと強弁するひともいるかもしれないが、私は率直に無知を認める。
 杉山正明氏の著作は、ユーラシア大陸理解のためには欠かせないものだと思うから、主なものは読ませてもらっている。その流れの中でこの書物も買ったのだが、その大部分の内容に失望して、積ん読の棚に放り込まれた。「大家」ともなると、講演テープをおこしたものや、すでに発表したものの採録だけで本ができあがる。この種のものを読むのは苦痛以外の何物でもない。最近になって第3章(これも採録で書き下ろしではないのだが)だけ読みたくなり、積ん読の棚から引き出された。
 第3章「世界史はこれから創られるー日本発の歴史像への道ー」にだけ関心を持ったのは、近年のグローバル化に対応した新しい世界史の構築をめぐる論議に対する問題提起を含んでいるからだ。世界経済論、地球経済論とは言いながら、経済学者の時代認識ほどいい加減なものはない。いい加減と言うよりも、むしろ鈍感で問題の意味を理解していないように思われる。ヨーロッパ中心、アメリカ中心の時代認識も歴史認識も終焉の時を迎えている。問われているのはグローバル資本主義が寄生する世界経済の全体構造にどのようにして接近するのか、そのような理論的、実証的営みに対応した歴史認識をどのように獲得していくかであろう。戦後の独立運動の激流の結果としていまや200もの独立国が存在する。ということは、200もの国民史が存在すると言うことだ。独立を期待する民族を含めるならば無限大の拡張の可能性がある。それらを総括した統一的な世界史を執筆することなど、愚か者が夢想することではないだろうか。
 ヨーロッパに発する世界史認識は捨て去ろう、中華思想に彩られてゆがんでしまった中国中心史観も捨て去ろう、我が国を連発する国史認識も捨て去ろう。そうした上で何ができるかを考えよう。普遍的世界史が書けるなど夢想である以上、私たちに残されているのは様々な試みを付き合わせ、全体像に接近する多様な道に謙虚に学んでいく以外にないだろう。
 杉山氏の地域横並びの試みはその方向への重要な手がかりになりうるものといえよう。そんことによって地域間の紛争も交流も全く新しい視点から観察分析できるし、氏の主張するように、「国家」「民族」「部族」という概念も比較によって再検討が可能になる。
 歴史学者の問題提起を経済学者も真摯に受け止めるべきだろう。資本主義分析はいつの段階でも「一国分析」をその最終目標にしていた。その場合、分析対象の国境の外に広がる「未開の地」や「暗黒大陸」などどうでもよかった。帝国主義の時代になると、植民地支配の願望が強まり、支配する側でも支配を脱しようとする側でも、地域や民族についての研究が深まった。地球全体をその深部に至るまで支配しようとするグローバル資本主義の登場は、それに対応して地域や国の研究の深化が求められる。それはGDP分析のような表層をなで回す程度のものではないことは確かであろう。(2012年9月20日)
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 地球大的経済の全体像を捉えきるという課題への接近のかなめは中国の理解であることは異論をまたないであろう。この国こ関する私の知識は驚くほど少ない。かって左翼学生として学んだ中国論は今では全く役に立たない。それだけにこの国の現状や歴史について、少しはまともに見える書物を発見すると、可能な限り目を通すようにしている。本書も目についた一冊であるが、率直に言わせていただくと、失望した。開発独裁モデルというかってよく聞いたような概念が再登場し、アラブの春以前のアラブ独裁体制もすべてこの概念でくくるのだからやりきれない。しかも、欧米モデルと社会主義モデルの中間的形態として積極的に理解する。彼のとらえ方にならうなら、北朝鮮もミャンマーもすべてここにくくり込まれることになるのではないか。これでは大ざっぱすぎる。もっと精緻な区分を求めたい。
  著者の課題はこの国が一党支配に基づく権威主義的体制から欧米型の民主的体制への脱却の道筋を示すことにあるらしい。彼の主張のかなめは、今進んでいる上からの改革には限界がある意見はあまりに「生態的」「決定論的」だと批判し、ゴルバチョフ的な急進的自己改革をとらずに、漸進的な改革を支持することにある。支持すると言うよりも願望しているといったほうが正確だろうか。
 分析によって問題点を抉り出すよりも、著者は随所に論証のない願望を示すことによって問題を回避している。一党支配を放棄する条件はどのように成熟しているのか、改革を求める国内の民主化運動がはたしてその核心に迫れる力量とスローガンを提示できるのだろうか。その点についての明確な指摘がなくては、「雪だるま式に自由化が拡大する可能性」に期待するなどと言っても、説得力がない。
 本書の欠陥は、中国の政治権力の中枢にある人民解放軍についての分析がないことにある。共産党に服属する、いうならば私兵のような軍隊がいったい自由化の過程でどのような役割と位置を占めることになるのか、詳しく知りたいところだ。さらにもう一つ、民族問題、とりわけウイグル族、チベット族の抑圧は自由化の核心ではないのだろうか。著者はこの問題を意識して避けているように思えてならないのだが。(2012年9月18日)

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