杉山正明『ユーラシアの東西ー中東・アフガニスタン・中国・ロシアそして日本ー』日本経済新聞出版社、2010年12月  ー地域史を横断的にすれば世界史に接近できるー

  
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かって現代史は資本主義と社会主義のイデオロギー的、体制的対立過程を軸に展開されるものと解されていた。それ以外の諸国はどちらの体制に包摂されるかにその将来がかかっていた。社会主義の解体後、現代史の構造は激変した。体制的対立の基底にあった多様な歴史構造が全面に立ち現れ、社会科学者は突然無知の状態に投げ込まれたのである。自分は知っていたと強弁するひともいるかもしれないが、私は率直に無知を認める。
 杉山正明氏の著作は、ユーラシア大陸理解のためには欠かせないものだと思うから、主なものは読ませてもらっている。その流れの中でこの書物も買ったのだが、その大部分の内容に失望して、積ん読の棚に放り込まれた。「大家」ともなると、講演テープをおこしたものや、すでに発表したものの採録だけで本ができあがる。この種のものを読むのは苦痛以外の何物でもない。最近になって第3章(これも採録で書き下ろしではないのだが)だけ読みたくなり、積ん読の棚から引き出された。
 第3章「世界史はこれから創られるー日本発の歴史像への道ー」にだけ関心を持ったのは、近年のグローバル化に対応した新しい世界史の構築をめぐる論議に対する問題提起を含んでいるからだ。世界経済論、地球経済論とは言いながら、経済学者の時代認識ほどいい加減なものはない。いい加減と言うよりも、むしろ鈍感で問題の意味を理解していないように思われる。ヨーロッパ中心、アメリカ中心の時代認識も歴史認識も終焉の時を迎えている。問われているのはグローバル資本主義が寄生する世界経済の全体構造にどのようにして接近するのか、そのような理論的、実証的営みに対応した歴史認識をどのように獲得していくかであろう。戦後の独立運動の激流の結果としていまや200もの独立国が存在する。ということは、200もの国民史が存在すると言うことだ。独立を期待する民族を含めるならば無限大の拡張の可能性がある。それらを総括した統一的な世界史を執筆することなど、愚か者が夢想することではないだろうか。
 ヨーロッパに発する世界史認識は捨て去ろう、中華思想に彩られてゆがんでしまった中国中心史観も捨て去ろう、我が国を連発する国史認識も捨て去ろう。そうした上で何ができるかを考えよう。普遍的世界史が書けるなど夢想である以上、私たちに残されているのは様々な試みを付き合わせ、全体像に接近する多様な道に謙虚に学んでいく以外にないだろう。
 杉山氏の地域横並びの試みはその方向への重要な手がかりになりうるものといえよう。そんことによって地域間の紛争も交流も全く新しい視点から観察分析できるし、氏の主張するように、「国家」「民族」「部族」という概念も比較によって再検討が可能になる。
 歴史学者の問題提起を経済学者も真摯に受け止めるべきだろう。資本主義分析はいつの段階でも「一国分析」をその最終目標にしていた。その場合、分析対象の国境の外に広がる「未開の地」や「暗黒大陸」などどうでもよかった。帝国主義の時代になると、植民地支配の願望が強まり、支配する側でも支配を脱しようとする側でも、地域や民族についての研究が深まった。地球全体をその深部に至るまで支配しようとするグローバル資本主義の登場は、それに対応して地域や国の研究の深化が求められる。それはGDP分析のような表層をなで回す程度のものではないことは確かであろう。(2012年9月20日)

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このページは、kitanihitoが2012年9月30日 22:12に書いたブログ記事です。

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