ステファン・エセル著『怒れ!憤れ!』(村井章子訳、日経BP社、2011年12月)ー私も怒り憤るー

 本書を読み終えるのには1時間も要しない。書物というよりも小冊子といった方がよい。私の手元に英語版があるが、これなどかわいらしい豆本と見まがうばかりである。しかし読みおえてからあらためて提示されている問題の重さを痛感している。著者の経歴を知って、彼に対する私の畏敬の念を表現するのに適切な表現を見いだせないでいる。彼は本書を著した時点で93歳であるからは今年は95歳になる。私もそこまで生きて若者に訴えることが果たして出来るだろうか。
IMG.jpgのサムネール画像のサムネール画像
 若者に対する「檄文」とも名付けるこのブックレットには、第二次大戦下のレジスタンス運動に加わって以来の彼の怒りの系譜が簡潔に語られている。彼の時代認識はレジスタンスの綱領に示される理念から出発する。レジスタンスそのものも怒りの発露ではあったが、彼のその後の怒りはレジスタンスの理念とその達成物がその後の世界で、とりわけグローバル資本主義の支配によって急速に掘り崩されていることに対してである。
 著者の若者に対する率直な呼びかけの態度に感動させられる。 怒りとはとはただの八つ当たりではない。彼はいう「怒る理由は、単なる感情よりも、自ら関わろうとする意志からうまれる」(34−35ページ)。怒れ、怒ろうという呼びかけは、関わろうという呼びかけなのだ。
 現代は複雑になり、何に対して、誰に対して怒ったらよいのかわからなくなっている。彼は「目をよく見開き、探さなければならない」と若者たちに求める。無関心であれば、「人間を人間たらしめている大切なものを失う」ことになる。失われる大切なものの一つは怒りであり、「怒りの対象に自ら挑む意志」であるとする。
 まわりを見渡せばいくらでも怒りの対象は存在する。複雑になっているとはいってもすでに明らかになっているものもある。貧富の差の拡大、人権問題、そして地球環境問題がそれだとする。
IMG.jpg
 この書物はフランスだけでなくドイツ語圏、スペイン語圏、英語圏でも出版され、抗議する若者たちに読まれているという。果たして日本の若者に受け入れられるだろうか。最も感性豊かであり、時代の課題に鋭敏に反応できる世代なのに、「就活」にエネルギーを浪費しているように見える彼らに受け入れられるだろうか。私の答えは悲観的なものだ。彼らはエセルさんが回想する時代についての知識をまったくといってよいほど持ち合わせていないだろう。
 そうではあっても私は、日本の若者がこの書物にまず接することを望む。せめて今の大学生の1パーセンとでも、あるいはその半分でもこの書物を手にしてほしい。そこからなにがしかの変化がうまれることを望みたい。
 怒りの表現方法こそ違うが、私もあの大戦の惨禍を教訓に獲得された平和の理念と民主的権利がはぎ取られ空洞化していることに怒っている。グローバル資本主義の支配の下で地球大的な問題群がさらに深刻になっていることに怒っている。この国ではいつも高齢者には柔和な態度が求められ、怒りの表現は抑制されたものにならざるを得なかった。この態度は変えなければならない。(2012.2.22)

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.01