阪神・淡路大震災と外国人問題


 
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   阪神・淡路大震災発生の頃、私は国際労働力移動や外国人労働者問題の研究と政策提言に関心を抱いていたので、この研究に関わってなにか被災地に献呈したいと考えた。このささやかな調査と分析は、大阪市立大学経営学研究『経営研究』  第46巻第3号(1995年11月)に掲載され、その後若干加筆して「阪神・淡路大震災と外国人」として、当時同人の一人として参画していた現代世界と文学の会の編集になる『グリオ〔griot〕ー第三地域から世界へー』1955年
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秋、vol.10、平凡社刊に掲載された。10年前にも若干の字句の訂正を行って、PDF判でホームページに再度公表した。
 神戸という都市の国際的構造が地震によってどのように揺らぎ、また強固になっていったかについて、外国人被災の実態、長田区の定住外国人らによいるケミカルシューズ業界の動揺と再生への努力について、外国人との共生を目指す取り組みについて解明している。その後について検証する仕事をしたいと考えていたが、残念ながら実現できていない。
 私の問題提起の重要性は、執筆してから20年たった今でも褪せてはいないと自負している。むしろますます強まっていると言わざるを得ない。20年の節目に、改めてもう一度公表することにした。
 沖縄」という地名を聞くたびに、私はいつも熱くなっていたものだ。学生時代に自治会の幹部として沖縄返還運動に関わり、沖縄の本土復帰実現に自分なりに全力をあげてきた当時を思い起こすからだ。
 同時に最近の私は忸怩たる思いにもとらわれる。憲法9条にしたがって基地のない核のない沖縄を平和を希求する日本に取り戻そうという思いは、1972年に当時の総理大臣佐藤栄作が主導して実現した返還によってものの見事に封じ込められてしまった。核付き基地付きで返還されただけでなく、この国の保守勢力が憲法を無視して走り出すきっかけともなってしまった。こともあろうにその佐藤栄作が返還を実現したことが評価されてノーベル平和賞まで授与されたのだからたまらない。
 権力側に返還という運動目標があのように見事なまでにかすめ取られて以来、いったい憲法の掲げる平和を守るという理想のために私は何をしてきたのか、普天間・辺野古問題に対していったい私はいま何ができるのか、いつも自問していた。体力が許すなら、沖縄に出かけて闘争に参加したい気持ちは募るばかりであった。参加できるならば、それは自分のこれまでの無知無能に対する贖罪の旅になるはずだった。

 この論考は『東アジアの平和と宗教』(『リーラー』、vol.8)文理閣、」2014年9月に掲載した同名論文の原稿である。
(2015.1.9)

私の学問と民主主義


   学問とは何だろうか。誰でもが大学に集積されている知識の体系ではないかと考える。その言葉の響きは大学の外に生きるものにとってはある種近寄りがたい雰囲気を漂わせ、それから派生する多くの言葉によって、学問は一層権威主義的な雰囲気につつまれる。
 私はこのような権威主義的理解とは一線を画したいと思う。学問という言葉を、知識水準や社会階層にかかわりなく、学び究めるという意味で、人間の普遍的権利と理解したい。そのように理解すると、知識の体系化された集積は誰に対しても平等に自由に開かれているものとなる。
 大学で研鑽を積み学位を得て大学教員の地位を獲得したひとたちは、この集積に独占的に接近できる特権層のようにもみえる。しかし学問は決して彼らの独占物ではない。大学に学ぶということは学問の手ほどきをしてもらうということであって、進学できない人びとよりも接近は容易になると言うだけのことではないか。
 学問、この言葉を私はこよなく愛する。いつも学び究めることに熱中していたいと願っている。そのような意味で学者でありたいと願っている。そのことを通じて、特権者としてではなく、つねに人間的連帯感に満たさた学者であり続けたいと願っている。
 うれしいことに、この国の憲法は第23条で「学問の自由は、これを保障する」と宣言している。特別の条文によって学問に無限定の自由を保障している憲法は世界にあまり例がないのではないだろうか。いうまでもなく、これは戦前に治安維持法によって大学教授や学生たちに加えられた過酷な弾圧に対する反省を込めての宣言であろう。しかし私はこの条項にそれ以上の思いを込めたい。市民的権利として、普遍的権利としてその自由を宣言するからこそ大学とその構成員の活動も市民によって支持され擁護されるのだ。この関係を忘却して、特定利益集団に取り込まれたとき、あるいは提供される利益に自らすり寄る時、人類が直面する課題に真摯に対応する態度を失った時、アカデミズムはもはや大衆の支持をあてに出来なくなる。
 大衆の学びの権利との豊かな交流こそが学問の自由の保障である。民主主義という言葉こそが学問のありように最もふさわしい言葉ではないか。これが私の学問観であり、本書を一貫する基調である。表題を「学問と民主主義」とした理由もここにある。

【付記】2013年8月に刊行した電子書籍をPDFとして公表することにした。

啓蒙学者の呻き

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  昨年秋にアマゾン・ダイレクトバブリッシングから電子書籍として刊行した『私の学問と民主主義』の第3部を、私もかかわっている同人誌『葦牙』に独立の論考として公表することになった。まったく同じものを転載するのも気が引けるので、「あとがき」としてこの文章を書き足した。生きてきた思想的時代の激動と今の私との関わりを説明し、市井に生きる78才の啓蒙学者の心情を書き綴ってみた。(2014.4.20)
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  「沖縄」という地名を聞くたびに、私はいつも熱くなっていたものだ。学生時代に自治会の幹部として沖縄返還運動に関わり、沖縄の本土復帰実現に自分なりに全力をあげてきた当時を思い起こすからだ。
 同時に最近の私は、忸怩たる思いにとらわれる。基地のない核のない沖縄を、憲法9条にしたがって平和を希求する日本に取り戻そうという思いは、1972年に当時の総理大臣佐藤栄作が主導して実現した返還によってものの見事に封じ込められてしまった。核付き基地付き返還どころか、この国の保守勢力が憲法を無視して走り出すきっかけとなってしまった。こともあろうにその佐藤栄作が返還を実現したことが評価されてノーベル平和賞まで授与されたのだからたまらない。
 権力側に返還という運動目標があのように見事なまでに盗み取られて以来、いったい憲法の掲げる平和を守るという理想のために私は何をしてきたのか、普天間・辺野古問題に対していったい私はいま何ができるのか、いつも自問していた。体力が許すなら、沖縄に出かけて闘争に参加したい気持ちは募るばかりであった。
 沖縄返還を要求して闘っていた頃の私は、政治的には独立した国として存在していた琉球王国を暴力的に併合した1879年の「琉球処分」についての知識はまったくなかったといってよいだろう。高等学校の日本史でも教えられなかったし、大学の講義でも同様だったと思う。沖縄県人に対して根深い差別意識があることも関西に住むようになってはじめて知った。併合によって彼らは貧困のなかに押し込められ、本土への低賃金労働力の供給地の地位を与えられにすぎなかったのである。
 大阪市の旧港あたりに沖縄県人が集中して住む地域がある。彼らが沖仲仕という厳しい肉体労働に従事して時代の証である。大阪の綿工業を支えたのは君が代丸にのって渡航してきた朝鮮人たちだけでなく、多くの若い沖縄出身の女性たちであったことも忘れてはなるまい。沖縄はまた、海外移民の最大の送り出し地域であった。戦前の沖縄が日本という国の中で占めている位置は明らかだ。
 これらのことは、私が経済学者として関西に住んではじめて知ることができた事実であった。学生時代の私は何の疑いもなく沖縄と本土が民族的に一体であることを信じ疑わなかったのである。
 あの頃盛んに唄われた「沖縄を返せ」という労働歌がある。デモ行進や集会の時に唄われる定番の曲であった。いまその歌詞を読み返してみると、歌詞のつじつまがあわず、あの頃を熱く思い起こすよりもむしろ違和感のほうが大きいのだ。

  かたき土を破りて  民族の怒りに燃える島 沖縄よ
  我等と我等の祖先が血と汗をもて
  守り育てた沖縄よ
  我等は叫ぶ沖縄よ  我等のものだ沖縄は
  沖縄を返せ  沖縄を返せ
        (作詞:全司法福岡支部 作曲:荒木栄)

 ここでいう「民族」とは琉球・沖縄民族のことなのだろうか、それとも単一民族的理解に立つ日本民族のことなのだろうか。いま私の乏しい知識を手がかりに考えると、そのように理解した方がいいように思うのだが、あの当時は運動を指導していた日本共産党も含めて単一民族論に染め上げられていたように思う。民族としての一体性を信じて疑わなかった思う。権力の側と運動の側との奇妙な一致があったのだ。
 「我等」とは誰のことなのだろうか。本土の市民と理解すると、併合の歴史的事実と合わなくなる。沖縄は本土の市民が「血と汗」で守り育てたものではなく、明治政府が暴力的に併合し、過酷な同化政策によって日本の一部とされ、貧困の中に押し止められたままにされたのだから。
 「我等」が沖縄県民を意味するのであれば、この歌の内容はいまでも訴えるものがある。事実、この歌は沖縄ではいまでも集会やデモの時にうたわれているという。ただ、最後の「沖縄を返せ 沖縄を返せ」の後半部分を「沖縄に返せ」としているのだそうだ。
 沖縄について正しく学ばねばならないと考えるようになった。そのうえで、なおアメリカ軍基地を押しつけられてその重圧にあえぎ、中央政府の差別的な政策に苦悩する沖縄県民との連帯の新しいあり方を模索しなければならないときが来ていると思っていた。そのような時にこの本に遭遇したのである。(2014.2.23)
 この8月、これまでに書いた仕事の一部に手を入れて電子書籍として刊行した。いざ意気込んで取り組んでみると、この制度についての疑問が次々とわいてくる。
 死ぬまで自由に学び、自由に書きたいと願ってきた。今、学びの成果を電子的に発表できる自由にこれまでにない充足感と喜びを感じている。学びの営みを紙の「書籍」として出版することなどもうどうでも良いと考えていた。制作費用の一部を負担しない限り出版はほとんど不可能だし、負担しても刷部数はせいぜい数百部どまり、ほとんど人の目に触れずに終わる。取次制度、再販価格というこの国の出版文化の悪弊に抗して紙の本を出版すること、私よりもはるかに若い編集者に本の趣旨や販売促進の方法を説明することなど、貴重な時間と労力を費やしてそんな煩わしいことをしてまで、紙の本の出版にこだわることはとっくにやめた。そして、一転して「電子書籍」出版を思いたったのである。
 この心変わりに対する私の態度は明快だ。電子情報化して書いた文章は、いうならば、左翼運動に加わっていた学生の頃に大学構内やストライキの現場でばらまいていたアジビラのようなものだ。受け取ったほとんどの人はその場で捨ててしまう。一人でも受け取って読んでくれる人がいたら、それがいかに稚拙な文章であろうと、それがいかに汚い謄写版刷りであろうと、ビラを書いたものにとっては、そしてそれを配ったものにとっては満足なのだ。私はいま、学生時代のこの気持ちを思い出しながら、自分の今の仕事もそのようなもので良いと思いながら学びを続けている。
 ビラはどこにも保存されない。それと同じように、私の書き散らす文章もどこにも残らない。残らなくても良いと思っている。紙の書物ならこの国では法律によって国会図書館に献本が義務づけられているが、電子書籍についてはそのような制度はない。ウェブサイトやブログとなると、現状では保存されないことを当然として、自己満足のために書き散らしているようなものだ。
 このつたない私の仕事の運命はともかくとして、IT技術によって急速に拡大する文化がこのままの状態でよいのだろうか。今のままでは、現代文化の最重要部分が後世に伝えられないことになりはしないか。紙による出版はその歴史的役割を終えつつあるのではないだろうか。次々と疑問さえわき上がってくる。この国の出版事情の特異さも浮かび上がる。この国では、紙による出版文化が萎え始めているだけではない。電子文化そのものも後世に伝える体制が整備されないまま水準が低下し、文化的後進国になりつつあるのではないか。
 電子書籍の刊行に踏み切ってみて、IT革命がもたらしつつある社会経済的結果についての私の関心はこれまで以上に高まった。私のブログ(http://www.focusglobal.org)に、この問題について思いつくままに書き連ねた文章に手を入れまとめてみた。あまりに非論理的な素人の議論であることは承知している。しかしそれは必ずしも私の頭脳の明晰さの程度が反映してのことではない、あまりに急速に展開する電子情報文化の混沌包帯がそうさせているのだと理解してほしい。
 市民の台湾を見るまなざしは多様になり,国交断絶後に顕著になった台湾無視の状況とはまったく違った交流が観察されるようになった.台湾の映画,テレビドラマが頻繁に上映され,観光や食文化の交流も盛んになっている.台湾を訪れて日本語を流ちょうに話す人の多いことから,この国に近親感を覚える人も多いようだ.
 ところが研究者の間では,台湾を専門にする人以外は関心は意外に低い.「一つの中国」論がつくりだした台湾軽視の傾向がまだ続いているように思われる.政治の分野となると状況はもっと悪くなる.中国本土の政権の威嚇的な態度に屈服しているとしかいいようがない.
 周知のように,台湾はオランダの支配,清国の進出,日本の統治を経た後,戦後は大陸から追われた蒋介石一派に支配されて1945年5月20日以来戒厳令の下での生活を余儀なくされた.1987年7月15日にようやく民主的政治体制実現の途についたのであった.この国がまともな国として評価されるようになったのはこの頃からで,20数年前からのことだ.それ以来,この国の併合を目指す中国の外交的,軍事的策略にもかかわらず,国としての体裁を整えつつあると評価されるようになっている.
 この国を訪問して観察する機会を何度か与えられた.その観察から,私は一つの新しい視点を見いだしたような気がする.小国の典型としてこの国を観察することによって,グローバル資本主義批判の新しい視点に到達できるかもしれないと考え始めているのだ.
 グローバル資本主義がつくり出す地球大的危機を克服する展望は,地球が無数の「国民国家」に細分化された現実とその下で醸成され,あるいは強要された狭い国民意識の克服なしにはありえない.
 例をいくつかあげよう.温室効果ガスの削減は緊急に解決されるべき地球大的課題であるが,国益を主張する国民国家の主張の前にたじろいでいる.各国の取り組みを総計しても,課題達成にはほど遠い.温室効果ガスにとどまらない.20年前のリオ・サミットで示された世界的熱狂は冷め,日本の現状を見る限りそこで提示された地球的課題はおろか,会議が開催されたことすら忘れ去られているように見える.
 核のない世界を求めて核兵器廃絶が主張されだしてからすでに半世紀以上が経過した.しかし,それが実現するどころか,チェルノヴィリ,福島と原爆投下にも等しい惨禍をもたらしている.それなのに,「平和利用」と称する核拡散が進み,原子力発電は地球全体に拡散している.「平和利用」の名の下に着々と軍事利用の技術と資源が集積されている今,核兵器だけでなく「平和利用」と称する技術を統制することが急務となっている.その障害となっているのは明らかに「国益」の主張である.
 地球大的課題への対応は,細胞分裂のように細分化が進む国民国家,その枠組みの中で形成される国民意識を基礎にしていては不可能であろう.国民意識はつねに自国の優位性と利益追求が前提となるからだ.
 問題解決のためには,何よりもまず国民意識を超えた地球市民意識を作り上げ,それを普及することが急務となる.それはグローバル資本主義のもとで深刻になる地球大的課題についての学習と教育,それらの課題への実践的取り組みによってしか形成されないのではないか.同時に,国民国家の内部からの改革も重要である.狭い愛国主義を基礎にした国益主義,歴史を歪曲して強制される単一民族論,同化論を克服することが必要であろう.
 強大国の挾間で存在感を示そうとする小国の現実,小国の体験にこそ偏狭な国民意識に基礎を置く国民国家の枠を乗り越える可能性と,グローバル資本主義の支配に対抗する契機が見いだせるかもしれない.国民国家を内部から変えていく試みなしには,あらゆる批判は,いかに口当たりが良いものであっても,所詮絵に描いた餅にすぎない.
 このノートは,私の台湾体験をふまえた思索の過程の産物である.ここで獲得された国民国家批判の視点が導く先はどのようなものになるのか,私にはまだ見えていない.成り行きに任せになるが,とにかく出発することにしよう.
 この小論の�,�はは台湾への旅の記録として『京都グローバリゼーション研究所通信』第2号(2007年5月),第4号(2009年9月)に発表したもので,�は私のブログ「北仁人のたわごと」に掲載したものをまとめたものである.写真を削除して文章だけを再録した.これらの3本のノートは序文を付して2011年春の地域文化学会研究会で報告する予定であったが,体調不良のため報告を断念せざるを得なかった.今回あらたに編集し,「はじめに」と「おわりに」を書き加えて公表することにした.(2012年7月21日)

資源問題と民主主義

人類は地球環境危機によって遠からず重要な生存の岐路に立たされるとする警鐘が現実味を帯び始めた。これらの警鐘は、産業的利益の擁護者たちや戦争の推進者たちによって確証のないイデオロギッシュな主張として無視され続け、時には嘲笑の対象にさえなってきた。地球温暖化に起因する気候変動と推定されるさまざまな異変が発生している今、それらの警鐘を率直に受け入れ、提起された主張を現実政策の次元に急展開させることが求められている。とりわけ化石燃料消費の大幅削減の手だてを真剣に考える必要がある。最大のエネルギー浪費であり、自然や文化遺産、景観を破壊する戦争を即刻停止する勇気を指導者たちは示すべきである。
 そのような状況に直面しているのに、現実政治の担い手たちの対応は鈍い。鈍いというよりも、危機意識を持ち合わせていないとしか言いようがない。官僚組織は政治家よりは判断ができるように見えるが、それも彼らに十分な学習能力があり、彼らに仕事を委ねる政治家の水準が高い場合に限ってのことだ。それ以上に問題なのは、市民の環境意識の水準の低さである。
 深刻化する地球環境危機に加えて、地球資源の収奪に弾みがついている。主要資源価格が高騰し、資源をめぐる争いは深刻になっている。特に原油価格の高騰を背景に展開される採掘権をめぐる争いがメディアを賑わせている。地球資源の有限性が検証できる局面に入り始めたとする主張が力を得て、「枯渇」の危機の到来が声高に論じられはじめている。
 資源に関わる危機は二重に展開されている。ひとつは資源浪費による汚染の危機である。この危機は、冒頭に指摘したように、地球規模で共通の認識になりつつある。もう一つは価格騰貴と乱高下、供給の不安定性に示される危機である。この危機はグローバル資本主義の下ではさらに深刻になるに違いない。その中で枯渇の危機が確実に進行している。枯渇は近い将来に直面する問題ではないにしても、地球の資源が有限である以上遠からず現実政策の課題となる。油田の買いあさりや再生可能なエネルギー開発をめぐる競争を見ると、先進地域のリーダーたちは「枯渇」は目前に迫っていると不安を抱き始めているが、真実を直視しようとはしない。
 枯渇に向かう奔流は製造業のための原料に予定される資源にとどまらない。「水」「生物資源」「土壌」等の地球共有材の枯渇は決定的である。人口爆発と生活水準の向上は食料消費を拡大させている。「食のグローバル化」によって先進国の飽食は加速度的に進む。漁業資源や農産物をめぐる争奪戦の過熱ぶりは石油以上である。「水」不足も多くの局地的武力紛争の原因になっている。このように見てくると、現代の資源をめぐる危機的状況は全般的であり、全般的資源危機と命名してもよい広がりと深さを示している。
 持続可能な人類社会を実現するために、地球資源の利用を適正な水準に維持して汚染による環境危機とあわせて解決策を考えよう、その利用を持続可能で公正なものにすべきだとする声も高まってはいるが、その声も資源の排他的囲い込みを目指す資源戦争の進軍ラッパにかき消されてしまっている。他国を出し抜いて、あるいは武力に訴えてでも、安定供給を実現する、これが音色の違いこそあれ各国の進軍ラッパのライトモチーフである。
 この危機を解決する手だてはあるのか。そのためには、そもそも「資源」とは何か、「資源問題」をどのように位置づけるかについてもう少し議論を深めなければならないだろう。先人たちがこのことについて考え実践したことが忘れ去られ、十分に語られ論じられてこなかったことにも、今日の資源をめぐる不協和音の原因の一つがある。社会科学がこの問題にもう少し真摯に取り組んできていたならば、問題の解決の道筋を今よりははるかに明確に示すことができたと思う。そのような自責の念を込めながら、「資源」について考える道筋を示し、直面する「資源問題」の解明のための示唆を得たいと思う。

 名城大学経済学部で2005年度後期に「国際経済政策論�」の講義を「資源・エネルギー問題と持続可能性」をテーマに行った。その講義案に加筆し、注と参照文献を付して出来上がったのがこの仕事である。2006年11月にKIOG Working Paper No.0601として公表したが、幸いなことによい評価を頂き、地域文化学会機関誌『地域文化研究』第9号(2006年12月)、『葦牙(ASHIKABI)』第33号(2007年7月)に全文が収録された。今回の再発表にあたっては、校正ミスと文章表現に手を入れるだけに止めた。例証は古びているが、展開されている論理はまだ十分に生命力を保持していると確信している。(2012年3月31日)
 グローバリゼーションの時代に経済学に求められているものは何か。
 危機の深刻さがさまざまな分野で論議されてはいるが,その解決策となると明確な答えはどこにも示されていない。答えはおろか,危機の全体像すら示されていないように思われる。
 グローバル資本主義の最大の特徴である投機による利得を例にとってみよう。この投機の構造を破砕しない限り「格差社会」などなくなりはしない。アメリカやヨーロッパの若者たちが果敢に戦いを挑んではいるが,残念ながら富裕層が投機のために所有する莫大な資金を収奪することなどおよそ不可能であろう。投機の抑制のために,またぞろトービン税導入が議論されはじめている。しかしこの施策とて税収を増やすために有効ではあっても,過剰資金を回収する手段とは到底なり得ない。批判を回避するために政治家たちが仕掛けた目くらましでしかない。トービン税はグローバルな規模で一斉に採用されない限り,資本の逃避を生み出すだけだ。しかも今の力関係では,アメリカ,イギリス,スイス等の金融的利得の巨大な国々がこの地球大的合意に参加するはずがない。それが実現出来るくらいなら,温室効果ガス削減の国際合意などとっくに実現出来ているはずではないか。
 既存の理論的枠組み,既存の理念にしがみついていては,もはや展望はない。新たな理念的,理論的転換が求められているのではないか。しかも転換が求められているのは,経済学をはじめとする社会科学だけではない。その基礎にある人間観についても転機にある。お互いが生存のために,人間とは生死を賭けて闘い合うものであるとする人間観はこの際捨て去らなければならない。この小さな地球の上で今のように個人から民族,国家に至るまで激しく争い,殺し合う事態をやめない限り,人類に未来はない。「ともに豊かになる経済」を構築するための理論と施策こそが追求されなければならない。これが私のこれからの仕事のライトモチーフである。
 このノートは,その問題意識の書きはじめである。次の三つの仕事,1)片岡幸彦・幸泉哲紀・安藤次男編『グローバル世紀への挑戦ー文明再生への智慧ー』(文理閣,2010年4月)に寄稿した論文草稿,2)2005年に本研究所ウェブサイトに公表したノート,3)地域文化学会機関誌『地域研究』第11号(2008年12月)に寄稿した書評から構成されている。1)の仕事は2)3)を基礎に仕上げられてたもので,かなりの重複がある。私の思索の過程を残す意味であえて再録した。(2012.1.22)
地球問題を考える.pdf

 この仕事は名城大学経済学部で行った2003年前期の「地球環境政策論」、後期の「地域環境政策論」の講義を要約して編集したものである。第1章は前期の講義、第2章は後期の講義にあたる。二年生と理工学部学生向けに行われた講義なので、可能な限り平明な表現を使うように心がけた。編集にあたって議論の中身には手を加えていない。例証は当時の社会経済状況のままであり、名古屋市の状況がたびたび登場することをお許し頂きたい。板書した図の類もその手書きの原稿をそのまま残した。
 補章に収録したのは、この講義を下敷きに名城大学の同僚と一緒に著した教科書の草稿である。今井斉・宮崎信二編著『現代経営と社会』(八千代出版、2004年9月)に収録されている。
 地球環境問題を平易に解説する目的が十分に成功しているか、その中にひそませた現代経済学に対する批判的見地を説得的に示せたかについて、ご意見、ご教示を頂ければ幸いである。(2011.12.24)