2011年11月アーカイブ

歴史的時代としてのグローバリゼーション

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  この仕事は以前に発表した論文,評論から構成されている.第1章には片岡幸彦編『地球村の行方ーグローバリゼーションから人間的発展への道ー』(新評論,1999年5月)に掲載された「グローバリゼーションの限界ー多国籍企業は21世紀に生き延びられるかー」,第2章には『唯物論と現代』(関西唯物論研究会責任編集,第25号,2000年7月)(特集ーグローバリゼーション,国民国家,民族ー)に掲載された「グローバリゼーションの時代」をそれぞれ収録し,補章として『京都グローバリゼーション研究所通信』(第4号,2009年5月)に「時代の課題」として執筆した「100年一度というごまかし」を付け加えた.発表時の筆者の思索の未熟さや時代背景にかかわる表現が数多く残されているが,手をつけずにそのまま残した.表現の誤りに限って訂正し,構成を統一した.
 それぞれの論文で強調した論点は違うものの,グローバリゼーションを新たな歴史的時代として,あるいはグローバル資本主義,グローバル帝国主義として理解しようとする態度では一貫している.
 20世紀末頃からであろうか,「グローバリゼーション」という用語がにわかに流行し始めた.多くの人はそれを地球規模での相互依存関係の拡大と理解するか,論文や著書のまくらことばとして利用するだけであった.現実を観察してみると,資本主義は世界史的に見て新しい局面に入りつつあることは明らかであった.その局面で直面する地球大的問題群の解決策を見いだせなければ,人類は破滅への坂道を急速に転げ落ちることは十分に考えられることであったのに,そのように自覚して思索する人は少なかったように思う.
 私はこれらの論文を出発点として次の二つの課題をこれからの思索の課題と定めた.第1に,地球大的問題群の解決の展望に観察と思索を通して接近すること,第2に,人類の歴史を洞察する手段としてはすでに不毛と化したかにみえる社会科学,とりわけ経済学に対する批判的態度を確立すること,この二つである.この仕事は私が歩み始めた新たな思索の道の出発点,いわば「序章」をなすものであるだけに,その欠陥を承知の上であらためて発表することにした.(2011.11.12)



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