2013年11月アーカイブ

 この8月、これまでに書いた仕事の一部に手を入れて電子書籍として刊行した。いざ意気込んで取り組んでみると、この制度についての疑問が次々とわいてくる。
 死ぬまで自由に学び、自由に書きたいと願ってきた。今、学びの成果を電子的に発表できる自由にこれまでにない充足感と喜びを感じている。学びの営みを紙の「書籍」として出版することなどもうどうでも良いと考えていた。制作費用の一部を負担しない限り出版はほとんど不可能だし、負担しても刷部数はせいぜい数百部どまり、ほとんど人の目に触れずに終わる。取次制度、再販価格というこの国の出版文化の悪弊に抗して紙の本を出版すること、私よりもはるかに若い編集者に本の趣旨や販売促進の方法を説明することなど、貴重な時間と労力を費やしてそんな煩わしいことをしてまで、紙の本の出版にこだわることはとっくにやめた。そして、一転して「電子書籍」出版を思いたったのである。
 この心変わりに対する私の態度は明快だ。電子情報化して書いた文章は、いうならば、左翼運動に加わっていた学生の頃に大学構内やストライキの現場でばらまいていたアジビラのようなものだ。受け取ったほとんどの人はその場で捨ててしまう。一人でも受け取って読んでくれる人がいたら、それがいかに稚拙な文章であろうと、それがいかに汚い謄写版刷りであろうと、ビラを書いたものにとっては、そしてそれを配ったものにとっては満足なのだ。私はいま、学生時代のこの気持ちを思い出しながら、自分の今の仕事もそのようなもので良いと思いながら学びを続けている。
 ビラはどこにも保存されない。それと同じように、私の書き散らす文章もどこにも残らない。残らなくても良いと思っている。紙の書物ならこの国では法律によって国会図書館に献本が義務づけられているが、電子書籍についてはそのような制度はない。ウェブサイトやブログとなると、現状では保存されないことを当然として、自己満足のために書き散らしているようなものだ。
 このつたない私の仕事の運命はともかくとして、IT技術によって急速に拡大する文化がこのままの状態でよいのだろうか。今のままでは、現代文化の最重要部分が後世に伝えられないことになりはしないか。紙による出版はその歴史的役割を終えつつあるのではないだろうか。次々と疑問さえわき上がってくる。この国の出版事情の特異さも浮かび上がる。この国では、紙による出版文化が萎え始めているだけではない。電子文化そのものも後世に伝える体制が整備されないまま水準が低下し、文化的後進国になりつつあるのではないか。
 電子書籍の刊行に踏み切ってみて、IT革命がもたらしつつある社会経済的結果についての私の関心はこれまで以上に高まった。私のブログ(http://www.focusglobal.org)に、この問題について思いつくままに書き連ねた文章に手を入れまとめてみた。あまりに非論理的な素人の議論であることは承知している。しかしそれは必ずしも私の頭脳の明晰さの程度が反映してのことではない、あまりに急速に展開する電子情報文化の混沌包帯がそうさせているのだと理解してほしい。

このアーカイブについて

このページには、2013年11月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2012年7月です。

次のアーカイブは2014年2月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。