縄文人よ興れーMIHO MUSEUM秋期特別展『土偶・コスモス』を見てー

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 先日、信楽MIHO MUSEUMの秋期特別展『土偶・コスモス』を見た。縄文期の膨大な土偶の展示する部屋をめぐりながら、私は不思議な感覚に襲われていた。これらの独創的な土偶を無数に制作し、精霊を呼び、祭祀を行った縄文人とは一体何者なのだろうか。
 私が学んだ歴史では縄文人や縄文文化は大陸から渡来した弥生文化や弥生人によって断たれた謎の文化として教えられ、しかも天皇制を核とする西日本の文化こそがこの国の始まりと教え込まれた。縄文人は消滅した、あるいは消滅させられた少数者による謎の文化と教え込まれた。出土した土器や土偶も異質のものと見られていた。それもこれも弥生人の進出と支配が建国神話に合致しており、畿内を中心とする西日本の権力こそが日本を支配し続けたからであった。
 最近になって青森県の三内丸山遺跡の発掘によってその構造が徐々に明らかになり、ミトコンドリア研究の進化によって、縄文人は弥生人によって駆逐、滅亡されたのではなく、両者は同化したのだという。この考え方はおかしい。先進的米作技術とさまざまな効率的生産様式と軍事技術をもって渡来した弥生人に屈服したという現実はミトコンドリアには反映されないのではないか。坂上田村麻呂が征夷大将軍として征伐した蝦夷はおそらく縄文人の子孫であろう。彼らは反乱を起こしたために征伐されたのだ。この支配と抑圧の関係の痕跡は今に至るまで継続しているように思われるのだ。あれだけの災害にもとで苦悩しているのに、東北人たちはなぜあのようにじっと堪え忍んでいられるのか。実際には声を上げているのかもしれない。しかし、西に住む私には聞こえてこない。もどかしい気持ちで一杯だ。
 会場内でささやかれる賛美の言葉、しかしそれは多くの美術展で聞こえてくる賛嘆
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の声とさほど違いは感じられなかった。あの土偶や土器で表現される多様性と個性は今の私ども自身に内在するものではないのか。その背後に秘められた霊性は私の遺伝子に組み込まれているものだ。あらためて太古の時代の祖先たちの感性にたち返る時ではにのだろうか。その豊かな個性的な表現に学ぶべき時ではないのだろうか。あまりの効率性の追求に個性が独創性が埋没している今だからこそ、縄文人の感性に回帰することは意味がある。
 縄文人よ興れ。
(2012年12月9日)

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