台中市内の日本宗教遺跡ー台湾の旅(5)ー

 4月23日、朝からの土砂降りに近い雨も晴れ間が見えてきたのでR君の学生Sさんの案内で台北市内の散策に出た。最初の目的地は台中公園内にあるという旧台中神宮の址を探すことであったが、これは簡単に見つかった。公園の交番で尋ねたところ若い巡査がすぐに日本語で教えてくれた。日本語を学んでいるのは日本人観光客が尋ねてくるためかと聞いたら、日本人は来たことはないとのことだった。趣味で学んでいるのだという。
R0010827.JPG 神社の址はすぐに見つかった。説明板もある。いったんは破壊したものを公園の一部として整備したようである。破壊され鳥居は地面に形通りに並べられている。自社殿の正面とは軸がずれているのでもともと建てられていたところではないようだ。本殿跡には孔子像が安置され、その前に銅製の馬が一対飾られている。本殿にいたる参道の石灯籠は破壊されたものをそれらしく並べたもので、上部が失われている。寄進者の名前が消されているものが何基かある。子孫たちの意向が働いたのかもしれない。
 公園にあわせてきれいにそれなりに整備されていることにR0010829.JPGこの國の統治時代の遺跡も含めてこの國の歴史に合流した多様な流れに対するマイルドな姿勢を感じた。国民党による独裁の時代にはこうではなかったに違いない。民主化のなかで新しい国民意識が形成されているのかもしれない。
 このまちのもう一つの日本人関係の宗教遺跡がもう一つある。宝覚禅寺である。実に奇妙な寺で中国寺院特有のあの金ぴかさはない。それなのに本堂の裏手に回ると金ぴかの大仏様が登場する。弥勒大仏(通称「台中大仏」)である。
 この寺は以前から日本人と深い関係があったようだ。戦後に建立された台湾中部に散在していた日本人の遺骨を合葬した慰霊塔がある。国交断絶前の特命全権大使の名が刻まれている。1500人もの日本人が無縁仏として台湾中部に放置されいR0010845.JPGたのか、そのあたりの事情が私には理解できない。なぜこの寺にこのような形でまとめられたのか、戦後の混乱を反映しているとはいうものの釈然としない。
 弥勒大仏の前に大仏を詠んだ句碑があり、そのまえにかなりの時を経たと思われるつくばい、すこし離れて寄進者の名が消された石灯籠が1基。大仏建立の前にも日本関係のものがここにあったのかもしれない。多くの謎が解明されずに残った。
(2010.4.24)

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