台湾人の国民意識の柔軟さー台湾の旅(9)ー

 今回の旅で痛感させられたことは、台湾人の間に形成されつつある国民意識の柔軟さであった。「形成されつつある」としたのは、いうまでもなくこの國をめぐる関係が不安定であるからだ。「一つの中国」論は大陸反攻を唱える蒋介石の支配があっての主張であった。どちらも「一つ」であることあると主張したのだから、力関係で外交的に大陸側が勝利したのである。蒋介石の支配がこの国の歴史的体験の多様さの中で一局面にすぎなくなった今、台湾の帰属はまったく違った視点から検討されなければならない。
 ヨーロッパに発した国民国家論はすでに歴史的役割を終えたのではないか。民族自決の権利も同様だ。民族のもつ言語や慣習、宗教の共通性や歴史的体験の共有を基礎にした国民国家設立の流れは終わりつつある。本来はその国民国家間の協同が実現することが期待された。民族間の柔らかな協同による新しい国家形態の実現は社会主義の発展に期待された。しかし現実には旧ソ連や中国に見られるように、多数を占める民族の支配を強固にしただけであった。社会主義の解体は構成する民族間の対立を一挙に激化させ、多数の小国を誕生させた。その過程は今も続いている。民族間の差異が低劣な指導者たちによって利用され挑発されて多くの流血の悲劇が生まれている。独立した「小国」が経済的に自立できる基盤はグローバル資本主義の下では脆弱である。リーマンショック以後の世界恐慌はこの脆弱さを誰の目にも見える姿でさらけ出した。
 従来のような固い国民国家にかわって柔らかい国民意識にもとづく国家形成が求められているのではないか。それなしには進みつつある国内の人種関係の変化への対応はいうまでもなく、国家間の柔らかな協同の関係も実現できないのではないか。新しい形態の多人種の協同による国家をつくりあげようと苦闘する南アフリカ共和国とあわせて台湾の将来に関心を持ち続けたいと思う。
 台湾人の示すこの柔らかさを誤解する日本人が多いのには驚かざるをえない。台湾では韓国ほど反日感情がない、日本語を話す人が多い、統治時代の建造物がよく残されていること等によって日本の支配のもとでの抑圧と殺戮の事実を消し去っることはできない。蒋介石の統治に比較するならば日本の統治は実に多くの経済的、社会的インフラを整備したと台湾の知識人の一部は主張する。しかしそれは台湾人の蒋介石国民党の支配の断罪の論理であって、日本の統治を免罪する論理にはならないのではないか。
(2010.5.24)

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